「へび」を調べる
- 蛇の遺物に見る民族の流れを探る -
第11章 蛇の目に見えるもの その2
第十章⑩節で この『蛇の目って?』は まとめたように見えた。
しかし、その『デザイン性』の美しさ、素晴らしさから 同心円 が利用される事が非常に多い事に気が付いた。
そこで 同心円 というデザインがどのような効果を見る人に与えているのかと同時に世の中でどのような位置にあるのか注目してみたい。
一、形状が同心円 (2次元的デザイン)
Internet Explorer 7・8 の待ちうけロゴ
今現在多くの方がマイクロソフト社の「インターネットエクスプローラー」の7 あるいは8 というバージョンのブラウザを利用してホームページを閲覧している方が多いと思われます。
その際 ”ファビコン”という ロゴにご注目いただきたいと思います。
”IE7” より前のブラウザには無かった様に記憶しますが ”IE7”になってからこのような『同心円(蛇の目)』模様が見られるようになりました。
これは explorer の ”e” に移行するにデザイン的にもちょうど良かったからかなぁ?
と、思ったのですが、「microsoft.com」日本法人のHPを覗いてみました。
2008年9月30日~10月4日 幕張メッセで『CEATEC JAPAN』が開かれたようですが、そこでマイクロソフト社もブースで出展したようです。内容はわかりませんがその時のレポート紹介で、HP上に同心円(蛇の目模様)を確認できました。
ね!! ドーナツなのか 『蛇の目』模様かはわかりませんが、あのマイクロソフト社でも
『蛇の目模様』のデザイン性が評価 されたといってよろしいのではないでしょうか。
追記 2010年11月
サブに使用しているノートパソコンを新調し、Windows7 64bit版にしたのですが Windows7でも この
”蛇の目”模様は継承されている。 ファビコンだけでなく、待ち受け時のカーソルにも使用されるほどの出世である。
my YouTube の待ちうけロゴ
YOUTUBEといえば動画のアップもダウンロードも良く利用させていただいているサイトであります
そして、「my YouTube」というアティースト専門に集めた動画サイトの待ち受けロゴは、IE同様 蛇の目模様(赤バージョン)がぐるぐる回るものとなっている。
YouTube自体は2006年10月9日、16億5000万ドルでGoogleに買収されており、対抗するマイクロソフト社のビデオ共有サイト「Soapbox」は立ち上げから3年ほどで閉鎖となっている。
同心円(蛇の目)が表示される事によって待っている間のイライラを解消し安心感を与える。マイクロソフト社だけでなくグーグル社においても『蛇の目模様』のデザインの良さが出てしまいました。
クレヨンしんちゃん の 目
野原しんすけ(5歳)右 : 野原ひまわり(0歳妹)左
野原家の人々 はじめ登場人物の多くの人々の”目” が「同心円」(蛇の目模様) であることに 気が付き
「巳子」の見ているTV画面に釘付けとなってしまった。
他の出演者はどうだろうと調べてみました。
野原ひろし
(父)
野原みさえ
(母)
桜田ねね
(友達)
酢乙女あい
(友達)
桜ミミ子
アクション仮面
パートナー
ふきでものマリー
小山むさえ
(野原みさえの妹)
小山まさえ
(野原みさえの姉)
小山ひさえ
(野原みさえの母)
風間トオル
(親友)
(”目”のイラストはウェブアートデザイナーで自作)
”同心円”の”目”が使用されているのは 野原しんのすけ(クレヨンしんちゃん)の母親の系統を継いでいるようで、母親・母親の三姉妹・母親の母(おばあちゃん)と皆”同心円”であることを確認できた。父親の系統(祖母・祖父)では確認できませんでした。また 明らかに女性の目に使用されることが多く きれいなお姉さんや可愛い子に特に使用されている。 ふきでものマリーの様にあまりルックスが良いとはいえないお姉さんや女性は、点(・)や塗りつぶし(●)で表現されているようだ。
正直言って ”目”の表現方法は、少女漫画に見られるようなキラキラした書き方の方が表現しやすいのではと思ったのですが、上記イラストに見られるように”同心円の目”と”眉毛”、”線”の入れ方によって充分 女性の色っぽさや、可愛さが表現できることを知った。
これは画期的なことで 今までアニメや漫画では白地に黒い●の目が当たり前だった。”同心円”(蛇の目模様)の”目”を見かけたことがなかった。キャラクターのインパクト、印象を残すのに充分な効果。あらためて蛇の目模様 のデザインの素晴らしさに感心してしまったほどだ。
追記
この度の突然の出来事は本当にショックでなりませんでした。
臼井儀人先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。(09年9/22)
ニュース ZERO
http://www.ntv.co.jp/zero/
NEWS ZERO
月曜~木曜日
22:54~23:58
金曜日
23:30~24:30
コンセプト
『ゼロから始める、革命的ニュースショー』
キャスター
村尾信尚 小林麻央 七尾藍佳
製作
日本テレビ
わかっております。 この形が蛇の目で無く数字の『 0 ( ゼロ ) 』であるということは・・・。 しかし下記ブログパーツといい オープニングデザインに重ねられたデザインは ”蛇の目”でしょう。
こちらは「日テレアプリ 」さんが提供する NEWSZERO・ブログパーツです。
かっこいいでしょ!! 今の時刻やニュースなども表示してくれるのです。
そして何より、緑色・黄緑色の同心円が爽やかに流れていくオープニング。 まさに『ゼロから始める、革命的ニュースショー』のコンセプトにマッチした新鮮さ、すがすがしさを演出しています。
いくつもの同心円(蛇の目)が織り成すショータイムといった感じです。
パソコンをするときは 必ず画面にTVを起動しているのですが、わたくしのような夜型人間としてはニュースZEROは欠かさず見たい番組の一つでして、仕事を終え蛇の目模様を眺めるとホッとする毎日です。
三洋電機 エネループ
SANYOのヒット商品であるニッケル・水素蓄電池
この商品が出てからデジカメでの使用はエネループに決めている。
従来のものは充電してもすぐに電池切れを起こすことが多かったが、自然放電を少なく、継ぎ足し充電が可能とメリットが大きいからだ。
しかしパナソニックとの合併により販売は続けるもののニッケル水素電池製造部門を売却することになりちょっと残念である。
合併により三洋電機社がパナソニックになっても応援するからね。
さて このHP上の「エネループ」のデザインであるが 若干空洞部分が多いもののやはり同心円(蛇の目)模様であると言っていいのではないでしょうか。
「繰り返し電池を使うこと。
「地球」と「いのち」が喜ぶことをしよう。
未来の子どもたちに美しい地球を還そう。」
そんなコンセプトと その輪を広げていこうという思いが この同心円(蛇の目)のデザインと一致したものと推測させていただきます。
(2010年7月現在) わたくし 三洋電機が好きだったからパナソニックになってもこの項目変えません。
情熱大陸
http://www.mbs.jp/jounetsu/
放送時間
概要
あらゆる分野の第一線で活躍する人物にスポットを当て、その人の魅力・素顔に迫るテレビドキュメンタリー
製作・TV系列
毎日放送(MBS)が制作し、TBS系列局
読む聞く もうひとつの情熱大陸 『情熱大陸+P』 ライター重松清氏「読む情熱大陸」に この情熱大陸のデザインの必然性の多くが 現されているように思う。
http://jounetsu.cocolog-nifty.com/plusp/2011/01/post-0dbc.html#more
情熱大陸に使用されているオープニングテーマ曲「情熱大陸」はヴァイオリニスト葉加瀬太郎氏によるものだが その葉加瀬氏が登場した時の言葉 ”情熱回帰”
重松氏のコラムを引用すれば
『若い頃の情熱は確かに熱く、まぶしい。
しかし、情熱とは流れ去ってしまうものなのか?
若さを失ったら同時に消えてなくなってしまうものなのか?
~~ 中略 ~~ (詳しくは上記URLを)
情熱とは、螺旋 を描きながら僕たちとともにあるものだと思う。』
『情熱大陸』は番組を通して ただ すごい人物を、活躍している人物を紹介する番組なのであろうか?いやこの番組を通して若い人に夢を、そして若い時代を過ぎた私達にも また頑張ってみようチャレンジしてみようと言う情熱を与えてくれているのだと思う。
情熱と聞けば若いときのエネルギーと思いがちであるが 情熱に年齢が関係あるものではない。 重松氏が書かれているように 情熱とは少年時代 青春時代 そして過去の自分を見つめ直してまたかたむける時に。 大地の大陸の鼓動のように脈打ち時にマグマのように噴出す”思い””情熱”という事を言っているのだろうと思う。
そういった意味でも この青い同心円の”蛇の目” は青い時代(青春時代)のさまざまな思いや情熱が後から後から湧き上がってくるイメージを、言い換えればいくつもの青い時代のイメージを螺旋を描きながら視界に脳裏に与えるようでもある。
”情熱回帰” 情熱は終わらないのである。
前述のNEWSZERO、エネループの”蛇の目”模様にも云える事でありますが 非常に爽やかなイメージを与えるデザインである。また今回はYouTubeのmasato72118さんの動画を使用させていただきましたが、非常に多くの方がこの情熱大陸のOPをアップしている事からもこの OPのイメージが与えるインパクトの大きさがわかる
というものである。 (2011.2.4)
西武百貨店 包装紙
同心円のデザインとして真っ先に思い浮かぶのはこのデザインかもしれません。
デザイナー
田中 一光(たなか いっこう)
代表する作品
◎夏季東京オリンピック入賞メダル、施設シンボルデザイン(1964年)
◎冬季札幌オリンピック入賞メダル、参加招待状デザイン(1970年)
◎日本万国博覧会政府館1号館、展示設計(1968年 - 1970年)
◎無印良品・トータルデザイン(1980年)
◎つくば万博)・シンボルマーク(1985年)
◎ロフト・シンボルマーク(1987年)
その他 大学校章・シンボルマークなど
まさに昭和期を代表するグラフィックデザイナーでした。
1975年西武流通グループ(セゾングループ)のクリエイティブディレクターに就任 その後のグループのデザインにも遺憾なく才能を発揮する。
西武百貨店 セゾンカード 野球の西武ライオンズとも独立した企業体系をとっていますが そのデザインはやはり緑と青を基調としたもので統一されている。
セゾンの”SAISON”の『O』がさりげなく『◎』蛇の目になっているところがVery Good!!
ではなぜ、田中一光氏は同心円の『蛇の目』をデザインしたのだろうか? 堤氏の家紋を以前調べたことがあるが「蛇の目紋」ではありませんでした。青と緑は何を意味しているのか?
ネットにおいてかなり調べたのですがわかりませんでした。 しかしこのデザインのインパクトは日本中を駈け巡り皆さんの心に響いていることでしょう。
西武も統合を繰り返していますが、緑と青のデザインが末永く使用されるとうれしいなぁ。
ポスター
1979年開催、山際照明造形美術振興会主催
「第9回東京国際照明デザインコンペ」ポスター
デザイナー
亀倉 雄策(かめくら ゆうさく)
代表する作品
◎旧フジサンケイグループ各社のロゴマーク
◎EXPO'70ポスター
◎沖縄海洋博アイキャッチマーク
◎日本伝統的工芸品統一マーク
◎明治製菓の「Meiji」旧ロゴマーク
その他 有名企業ロゴマーク 多社
田中一光氏を調べていたら オリンピックつながりで私の目に飛び込んできた。 照明をデザインしているものであろうか シンプルな幾何学的模様を背景に 寒色の組み合わせの同心円(蛇の目)である。 暖色の取り合わせでは無いのに なぜだろう”ほんわり”とした柔らかな温かみを感じる。
さすが田中一光氏と同じく昭和期を代表するグラフィックデザイナーのなせる曲線と直線の匠 ( たくみ ) である。
衣・住 生活の中のデザインとして
椅子 に
東京国立博物館 『蛇調査隊記』
平成館 (2009年08/26)より
なんとココにも ”蛇の目” が~~!!
素晴らしい!! 広い空間に周りの雰囲気を壊さず、さりげなく見学者の疲れを癒す椅子。しかもこういった形状なら中に外側に合計12人ほど座れてしまうのではないだろうか。
「でも 巳子~~巳好樹~~ ドーナツじゃないよ!!」
(マウスを重ねると・・・)
LAMMHULTS MOBEL AB
SE-360 30 LAMMHULT スウェーデン製
イオンショッピングセンター にて
2009年10/5 ブログ より
スリッパ に
2009年11/20ブログより
「少女パレアナ」の影響で必ず赤のチェック系のスリッパをひそかに愛用していたのですが・・・。
今回 家内が選んできたものがこれ・・・。
「どんだけ”蛇の目”模様が好きやねん!!」と突っ込みつつ。
良くできた妻だ と感心するのであった。
「スリッパにまであるとは・・・。
良く見つけたよ ・・・。」
ネクタイ に
わたくしは 見逃さなかった・・・。
デーブ・スペクターさんのネクタイが蛇の目模様だったことを!!
いつもちょっとした親父ギャグ?アメリカンジョーク?を飛ばし失笑を誘っている氏であるが、この日のトークは違っていた。
パンチの効いた”トーク”とバカウケの”ギャグ”
これも
”蛇の目ネクタイ”のご加護か!?
絵画
作者不明 某ショッピングセンター トイレに向かう途中の通路内
ブログにも書いたんですけど 狭い通路を「何 写真とってんじゃ?」と思われながら・・・・。
蛇の目の宝石箱や~~~ 贅沢~~。
Farbstudie Quadrate Mit Konzentrischen Ringen 1913 Kandinsky
画家
すみません 何語か判りません
代表する作品
不明
近所のファミリーステーキ屋さんの通路にて
「夕暮れ」 熊谷 守一 1970年 油彩 24.3×33.4cm
画家
熊谷 守一 (くまがい もりかず)
1880 ― 1977
代表する作品
◎ローソク ◎冬の海 ◎仏前
◎「朝の始まり」 ◎あげ羽蝶 ◎赤蟻
その他 水墨画、書も描く
「朝の始まり」や「夕映え」など、熊谷守一には同心円を描いたものがいくつかある。これは90歳のときの作品で、彼はこの絵は自画像だと言っていたという。昼は生の輝きに満ちていた世界も夕べには再び闇の中に埋もれてしまう。やがて訪れる自分自身の死を考えながら描いていたようだ」
絵画写真・文とも
*64 『東京・美術館への散歩道 1』 発行:1988年
著者:東京新聞出版局 発行者:萩原道彦 p116-p117
この絵画を見て人はどのような印象を受けるだろうか・・・。この写真は白黒であるが、実物は黒い背景に青味がかったグレーの同心円(蛇の目)で内側と外側に細い朱色のラインが入っている作品である。
一言で感想を言えば 「とんでもない作品である。」といったところでは無いだろうか。
わたくしが『蛇の目』を調査しているから「お~~~斬新!!大胆!!」と瞬間に思ってしまうが、一般の人が見た時どのような評価をするか、反応を示すか?そちらの方にも興味が湧く。
なるほど絵画の説明を読めば、納得するだろう。しかし題と絵画をジーと見ているだけでもこのモノトーンの太陽を表した同心円が色を帯びてくるから不思議である。熊谷氏は暮れ行く夕暮れの真っ赤に大きく輝く太陽を画面いっぱいに描きたかったのだろうかそれとも、それに対する孤独を表現したかったのだろうか? 自然体で達観していた熊谷氏の事である。生死をおそらくこの地球にいる自らをちっぽけなものとみなし太陽の再生との対比を表現していたのかもしれない。
そして、このラインに一筆に突き詰められた氏の温かみが 見れば見るほどわたくしを深く引き込んでいくようである。。
熊谷守一氏の生き方、売る為に書くのではなく。評価される為に書くのではなく。そして新しい物に取り組もうとする精神。
・・・・非常に共感を受ける面が多い。。
*65白洲正子氏著「白洲正子の世界」― 忘れ得ぬ人々 交遊録 ― において。 熊谷氏の自宅に訪れるたった一度の出会いについてこのように書かれている。 「生涯忘れる事のできない事件であり、『平常心』というものの美しさに、生まれてはじめてふれる思いがした。」人物そのものが美しく清らかだったと。 そして白洲家の新年については「これといって特別な飾りつけはしない。そのかわり、いつもは土間兼客間の壁に、熊谷さんの『日輪』という書が掛けられる。それは、ただ丸が描いてあるにすぎないが、実に自然な姿をしている。」*65と。
『夕映』 24.3×33.4 (4F) 1970年
話は変わるが、 わたくしは職人である。しかし母親の作る料理はおいしい。妻の作る料理もおいしいねぇ。 やはり 食べる人の事を思って調理しているからであり、作ってくれる人のことを思って食べるからであると思う。
父の握る寿司と私の握る寿司とどちらがうまいか?わたくしはやはり父の方が美味いと感じる。父の年季の入った寿司には私達を養って来た重みと愛情が入っているからである。また寿司自体にもそういったものが現われている。 その重みや思いを感じるとどんなに丁寧に上手に綺麗に作ってもおそらく一生 父や母の料理にはかなわないのだろうと思う。
料理だけでなくすべてにおいてこころや思いとというものは伝わるものである。
それでも わたくしはわたくしでお客様に精一杯心を込めてつくり続けることであろう。
わたくしが絵画を鑑賞する際、まず考える事(自然体でですよ。)画家がどのような生き方をしているか、どのような思いでこの絵を描いたか。 と言う点にどうしても重きをおいてしまう。鑑賞の仕方が間違っていると言われればそれまでだが、 絵を見ると自然と想像してしまうのである。画家の思いを感じ取ろうとしてしまうようである。
守一氏自らを重ねたこの太陽シリーズ。わたくしは高い評価をせずにはおれない。 「夕暮れ」 に代表される同心円。市会議員である父親に反発し商人 でなく画家を選んだ氏。 子供好きであった氏が幼い次男「陽」君を貧しさゆえ救うことができなかった苦悩をもこの絵画に重ねてしまうのは考えすぎであろうか。 太陽を一重の円で表す事をせず同心円で描いたこの作品、商人の護符であった玉璧(同心円)と、父親になってこそ分かる思いが同心円へと筆を動かしたのではと、こじつけてみたりする。
また 『東京・美術館への散歩道 1』*64の注釈にあるように、 『昼は生の輝きに満ちていた世界も夕べには再び闇の中に埋もれてしまう。やがて訪れる自分自身の死を考えながら』 ここでも”循環”や”再生”といった思想が自然とこういった同心円を描かせているように、そして 『朝のはじまり』のようにまじめに遊ぶ作品の数々が出来上がったのではとも思う。
『朝のはじまり』 24.3×33.4 (4F) 1969年
『夕映』 ・ 『朝のはじまり』 とも
「アサヒグラフ別冊 美術特集 熊谷守一」
昭和53年発行
発行所 朝日新聞社 *66
「朝のはじまりは」は釘穴から朝日が射し込むところを描いた作品であり、まじめに自画像 と謂っている。
関連サイト
豊島区立 熊谷守一美術館
岐阜県中津川市 熊谷守一記念館
『大きな森』 1927 バーゼル美術館
画家
マックス・エルンスト
1891 - 1976
代表する作品
◎美しき女庭師の帰還 ◎セレベスの象
◎博物誌 ◎百頭女
◎ニンフ・エコー ◎ポーランドの騎士
マックス・エルンスト氏はドイツのケルン近郊のブリュールに生まれその後フランスに帰化する。
ボン大学で哲学と心理学を学んでいた頃、第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底に持つダダイズムを経る。そして超現実主義(シュルレアリスム)の最も代表的な画家の1人となる。
超現実主義(シュルレアリスム)という分野の有名な画家にはデ・キリコ、ルネ・マグリット、サルバドール・ダリといった方達がおり、サルバドール・ダリのとろけちゃってる時計や引っ張って伸びているような顔・物の絵画は名前を聞けば思い浮かぶほどでは無いでしょうか。
そんな中でダダの流れを汲むマックス・エルンスト氏の代表作『大きな森』では同心円と森 が描かれている。この絵画はローマ人とゲルマン人の争いのむなしさを背景に「現代人の孤独の表現として太古の森を描いている」と言われている。
エルンスト氏の描く太陽は必ずしも同心円というわけではありませんが、同心円と森をテーマにした作品を数点描いている。その中で描かれる”森”は幼児期の『父に初めて森に連れて行ってもらったときの魅惑と恐怖体験』が影響しているようです。
とすると そこに描かれる同心円(蛇の目)はローマ人キリスト教を表現していると言えそうである 。
絵についての感想ではありますが
「灰色の森」1927年
わたくしにとっての森のイメージは世界遺産にもなった白川山地や、熊野古道を包むような森。あるいは子供の頃キノコ採りやワラビ採りをしたような森(山)であります。
森は豊かさの象徴であり、水や恵みをもたらしてくれる。そういったイメージがあるものですから、これら作品の題名を見ると「何で?」といった印象を受けるのです。
「石化せる森」
はじめに作品を見たときは産業の発展が森を破壊し、便利になればなるほど 環境を悪化させていることを訴えているような作品ではないかとおもったほどである。当時そのような環境 の事を考えていたかわかりませんが、文明の素晴らしさは最もと理解しつつも虚しさを憶える作品である。
現代人が森に対して恐怖心や魅力を必ずしももっているとは思いませんが時代が変わっても作者の表現したかった感情は今の人にも充分伝わるものではないでしょうか。
ここで表される同心円はキリスト教を重ねたものであって まるで天使の輪 のようである。
二、形状が蛇の目 (立体的デザインに)
リース
クリスマスのリース(christmas wreath)
右側写真のリースは巳子(長女)が幼稚園のときに学校で造ったもの。
以来毎年 廊下だったり部屋だったりに巳美(家内)が飾っております。今年は上がってすぐの廊下に飾っていました。
クリスマスはイエス・キリストの生誕を祝う行事ですが、花や葉を輪に作ったクリスマスリースの起源は、ローマ人の習慣から来たとされています。
クリスマス以外には、儀式の時に頭につける月桂の冠や、棺の上に飾られる花環もリースの一種とされています。
お祝いだけでなく棺の上に飾られる花環 という点 これって日本でもそういう習慣ありますよね
献花のリース
2009年12月27日
鳩山総理夫妻は昨年11月26日に発生したムンバイ連続テロ事件の犠牲者を追悼するためトライデント・ホテル及びタージマハル・ホテルにて記帳及び献花を行いました。
「ねっ!! 献花の花輪もリースのようでしょ。」
日本の花輪
花輪 (お祝い事に葬儀に)
葬儀用は生花に替わりあまり見なくなってきたかもしれませ
んが、お祝い用はパチンコ屋さんではもちろんのこと店舗開店、「笑っていいとも!」のお友達紹介でも必ず後ろに飾られていますね。
形状は多少違いますが、生誕と死をつかさどるクリスマスリースとこの日本の花輪も同じ意味を持つものであり ローマ人の習慣から来ているものと推測させていただきます。
リースの起源
クリスマスをイエス・キリストの生誕を祝う行事とし、リースの起源をローマ人としている文献・ネット上で見かけるが
『飾りが入念で精密な出来栄えであるところからみて、古代エジプトの世界でも、後の時代と同様に、特別な職業として花輪つくりの仕事があったにちがいないと信じてよいようである。』 ―「ツタンカーメン発掘記(下)」ハワード・カーター/筑摩書房より
リースのその起源はエジプト時代以前と見たほうがよさそうである。
追記 2009.12.24
上記 「NEWS ZER◎」の 蛇の目模様のデザインがオシャレでかっこいいと紹介させていただきましたが、
12/24 『福山雅治@ZER◎ トーク&SPライブ』が放送され
「ZER◎」 の ”◎”がクリスマスリースに替わっていました。
ステキ!! つながっている~~~。
デザイン性抜群ですね。
追記 2010.3.4
高島屋さんのローズも”クリスマスリース ”のようですね。
『秘密のケンミンSHOW』2010.2/4放送
でやっていましたが佐賀県の「玉屋」さんは、昭和40年高島屋ハイランドグループに入って以来、紙袋のデザインも高島屋オリジナルデザインを使用している。
リース あるいは 花輪 ・・・
海外でも、日本国内においても 同じものを意味し、生と死の再生を表しているようだ。
ドーナツ (donut)
ドーナツの原型はオランダで揚げたボール状の菓子にクルミを載せたもので、オランダ人は「オリークック、フォトクッカ、オリーケイク」などとと読んでいたが、名前の由来は、ドウ(生地)の上にナッツが載ったものという意味から来ている。
ドーナツの起源は
穴が開くようになったのは 19世紀アメリカで、諸説ある。
◎火の通りを良くする為。
◎上に乗せるナッツが無かった為穴を開けた説。
◎1847年、ニューイングランドの輸送船船長ハンセン・クロケット・グレゴリーが航海中に嵐に遭遇し危機を脱しようと、思わず手に持っていたドーナツを舵の棒の先に通して、懸命に船を操縦したことによる説。
ドーナツの起源を調べてみるも、これだ!!というものが見当たらず、1941年にニューヨークでドーナツ大論争が起こったほどであるが、ハンセン・グレゴリー氏の舵の棒の先に通したことが起源とされているようである。
しかし、嵐を避けるような航海中 はじめからドーナツ持ちながら仕事するであろうか?
仮に食べている最中のドーナツだったら 1口かぶりついただけでも輪が切れて 舵の棒に刺すことは不可能である。落ちてしまいます。
推測ではありますが棒の先に通し「蛇の目」の形状にしたことが、ローマの思想、神秘性と重なった 事により支持されたのではないでしょうか?
天使の輪
見える人にしか 見えないものですが?? 立体的なものとしてココに・・・。
クリックで全体写真
作品名・作者
コメント
『ブノワの聖母』
レオナルド・ダ・ヴィンチ作
1475-78年頃
エルミタージュ美術館
師匠のヴェロッキオから独立して、最初に描き始めた聖母子画と言われています。
母子共に天使の輪 が描かれています。
『岩窟の聖母』
レオナルド・ダ・ヴィンチ作
1483-1508年頃
全体画をみると聖母マリアと2人の子供に天使の輪が。右端の天使には羽のみで輪は描かれず。
光の輪がある一見天使のようだが子供はキリストとヨハネといわれている。
『ヴァージンエンジェル』
ウィリアム・アドルフ・ブグロー作
19世紀フランスのアカデミズム絵画を代表する画家で、天使、聖母、少女、神話等を多く描く
「ヴィーナスの誕生」「プシュケの略奪」「キューピット」など多くの天使を描くが”輪”を描いていない 。
逆に聖母子にはオーラのような後光を描いている。
天使が描かれている絵画、画家を調べてみましたが、天使に光の輪を描く事は少ないようです。
『天使のチョコリング』 ハートブレッド アンティーク
天使の輪ということで・・・。おまけに
「大きいでしょ!!」
良く行くショッピングセンターの店舗内でお姉さんがガラス越しに作っているのを飽きもせず見る子供たち・・・。
巳子がテストで100点を採ったご褒美に買ってあげました。
「おいし~~!!大満足!!」
『ハートブレッド アンティーク』
この天使のチョコリングも ある意味「蛇の目」 ですね。
しかも
「しましま」 という名前のへびに似た菓子パン までメニューにあるんですよ。
「シマヘビ」 かいな!と突っ込みたくなりますが、メロンパン生地の足を付けているという事です。
足を付けてるといっても・・・。「足にみえる?」
「ひそかに へびでしょ~~」
この会社も ローマの思想と関係あるのだろうか?
冗談は置いといて チョコリングがあまりにもおいしかったので すっかり 大ファンになってしまい、次の週に両親にも、と思い今度は2個買って一人、三分の一づつ食べました。
月桂冠 (Laurelwreath)
月桂冠・・・
月桂冠(げっけいかん)は、月桂樹の葉の付いた枝を環状に編んでサークレットとした冠。月桂樹はギリシャ神話における光明神アポロンの霊木として崇められており、月桂冠は古代ギリシアにおいて競技の優勝者などに、その栄誉をたたえるために授けられた。現代ではオリンピック競技、特にマラソンの優勝者に授けられる。WIKI
葉のついた月桂樹の枝を輪にして冠としたもの。古代ギリシアで、競技の優勝者などに名誉のしるしとして与えた。転じて、最も名誉ある地位、また、そのしるし。
(写真・文とも 小学館『大辞泉』1995年発行 P836)
③アポロン の貢にて ピュティア祭について記し、 月桂冠の起源はギリシャ神話にあり、月桂樹は光明神アポロンの霊木として崇められたこと、薬効が高かった事、そしてピュティアがご神託を受ける時に月桂樹の葉を燻してトランス状態になった事を知りました。
古代オリュンピア祭では優勝者に与えられたオリーブの小枝を冠にしましたが、オリーブもギリシャ神話に起源があります。アテナとポセイドンが土地の領有権を争った際、人間にとって役に立つ物は何かと対決しました。アテナは大地からオリーブを生み、この勝負に勝ちアテナイの地を治める事となりました。
オリーブも油がとれるだけでなく体力を回復させ健康を維持するための重要な成分が多く含まれており、ローマ時代にも国の重要な資源でありました。
いづれにしても”へび”と関わりの深いアポロン、アテナ。薬効成分が多くそしてそれら小枝を冠(輪) にする思想・・・。なんだか 意味がありそうですね。
ローマ帝国 紋章
ローマ帝国軍隊の象徴
「鷲のカメオ」 (前27年)
ウィーン美術史博物館蔵 *67
リースやキリスト教関係を調べていたら このような物がありました。
カメオのデザインは鷲が1枚の羽をつかみ赤いラインで囲まれているもの。
◎外側の金縁の模様 はウロコのようでもあり、草(蔓)のようでもある。
◎鷲の右側に同心円の模様。こちらは縁にある蔓のような装飾というよりウロコのような模様があることが分かる。
前27年といえば古代ローマ時代でも共和制ローマからまさにローマ帝国が建った年である。
月桂冠といってもいいかもしれないが へびが自らの尾を噛んだような図像。 ウロボロスのようでもある。
*67 ローマ帝国 象徴
『朝日百科_世界の歴史12 紀元前の世界3 p(B-67) 』
メン・アン・トル[Men-An-Tol]
2つの立石の間に同心円状の穴の開いた花崗岩が。(写真:*82 P229)
大きな地図で見る
ブリテン島南西端、コーンウォールのモーヴァーにあるメン・アン・トルは、現地の言葉で「"stone with a hole"穴のあいた石」という意味。別名をクリック・ストーン“Crick
Stone”。
中央にある同心円状の石の高さはおよそ1m強、その真ん中に45cmほどの孔(穴)が空いていており、その孔をくぐると病気が治るなどの伝説が残り、何千年もの間民衆から魔力のある穴と言われてきた。
代表的な伝説
◎裸にした子供を穴に3回通し、それから東に向かってさらに3度草の上をひっぱれば、結核やくる病等の病から子供を守れる
◎リューマチ等の人は太陽に向かって9度穴をくぐれば良い
◎子供がくぐると、百日咳が直ったり、洗礼を受けた後の赤ちゃんが通 ると一生健康でいられる。
◎不妊の女性がくぐると確実に妊娠する。
◎この石は地電流を集め、その力線を孔の真ん中で焦点のように集中しているといわれている。
輪の向こう側とこちら側で 異次元の世界、妖精の国にいける等の伝説があるようです。写真に見られる立石群は、環状の石と合わせて4個ほどですが、 全体はストーンサークル で、メン・アン・トルの石はその一部にあたる。
ストーンサークル自体、墓としての機能があったようで、ある意味異次元の世界の入り口であるのかもしれない。
参考文献 *77 週間朝日百科「世界の歴史5」 E-4 朝日新聞社
*82 「ヨーロッパ先史文明の謎」 著者:フェリック・R・パトゥリ
訳者:中島俊哉 発行所:佑学社 発行:1982年4月
参考サイト
英国探検隊(第54回) 様
英国ストーンサークル探訪記 様
Cornwall's Archaeological Heritage 様
茅の輪 (茅の輪くぐり)
茅の輪 ( ちのわ ) くぐりとは おもに大祓 ( おおはらえ ) という6月と12月の晦日(新暦では6月30日と12月31日)に行われる除災行事の一つとして行なわれるものである。
この輪の形状も何かしら意味があるものではないかと思うのであります。
茅草で作った輪を
①”左回り” ②”右回り” ③”左回り”
と3回通って8の字をつくり穢れを払うというものである。
厳密なところは
①茅の輪の前で軽く礼。左足からまたいで、左回り
②茅の輪の前で軽く礼。右足からまたいで、右回り
③茅の輪の前で軽く礼。左足からまたいで、左回り
④茅の輪の前で軽く礼。左足からまたいでご神前に進み、二拝二拍手一拝
という神社もあるようです。
わたくしなんぞは絶対足が絡んで転ぶとおもう・・・。
「へび調査隊記」江島神社 (10.3.29) より
神奈川県藤沢市 江の島にある 江島神社
6月の『水無月大祓式』で行なわれる。
『罪やけがれを祓い清めるためにお祈りする』
「祓い給え、清め給え」と言いながら
正面を向いて左、右、左と回ります。
「へび調査隊記」浜松 賀茂神社 (10.06.17)より
静岡県浜松市中区東伊場 浜松賀茂神社
こちらも正面を向いて左、右、左と回ります。
宮司さんらしい方がお話くださるには「松尾大社で行なわれている茅の輪くぐりに習って10年くらい前から・・・」とのことでした。
材料・作り方
まずは その材料ですが、茅(カヤ)とはいわゆる”ススキ”のことです。
ススキと同様にイネ科のチガヤ(茅・茅萱)も材料として使用されるようですが、イネ科のヨシ、スゲもチガヤの総称とされるようです。
茅葺 ( かやぶき ) 屋根の屋根にもススキやチガヤが使用されますが、茎に油分を含む為雨水を弾く事から屋根に使用されてきたようです。
作り方に関しましては
『サ・ク・ラ・サ・ク、櫻木神社』 様
『源頼朝義経兄弟の対面石 八幡神社』 様
さて、この茅の輪くぐり何に由来するものかを調べてみました。
蘇民将来 ( そみんしょうらい )
『備後國風土記』
遠い神代の昔、素戔嗚尊(スサノオノミコト)が旅の途中で蘇民将来・巨旦将来(コタンショウライ)という兄弟に一宿を求めたところ、裕福な弟の巨旦はこれを拒んだのに対し、兄の蘇民は貧しいながらも厚く尊をもてなしました。尊は御礼として悪疫退散の『茅の輪』の作り方を蘇民に教えます。小さな『茅の輪』を腰につけさせると、蘇民一家はその年流行した悪疫から逃れることが出来ました。
”茅の輪くぐり”をネットで”ぐぐる”と おおよその由来を『備後國風土記』の蘇民将来伝説としている。
(念のため”ぐぐる”とはグーグルで検索すると言う意味)
そして、”茅の輪”を蘇民将来に教えた素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀る神社と関係が深いことがわかってくる。
HPなどで蘇民将来伝説と茅の輪について明記している神社仏閣
神社仏閣名
御祭神・御本尊
住所
伝説
茅の輪くぐり
メモ
備後国一宮
素盞嗚神社
素盞嗚尊
稲田比売命
八王子
広島県福山市新市町大字戸手1-1
あり
旧暦6/30
”茅の輪くぐり”発祥の地
(本殿 八角柱)
須佐神社
須佐之男命
稲田比売命
足摩槌命
手摩槌命(須佐家の祖神)
島根県出雲市佐田町須佐730
あり
茅の輪授与(節分)
参拝者は茅の輪を首にかけ持ち帰り玄関に掲げる
素戔雄神社
素盞雄大神
(牛頭天王)
東京都荒川区南千住6-60-1
あり
大祓(6・12月)
須佐神社
(wiki)
須佐之男命
和歌山県田辺市中万呂5
夏祭り(6/30)
20年前より
江戸時代まで牛頭天王社
須我神社
須佐之男命
稲田比売命
清之湯山主三名狭漏彦八島野命(二神の子)
島根県雲南市大東町須賀260
あり
夏越の大祓(6/30)
須賀宮または日本初之宮と呼ばれる初の宮殿
須賀神社
素盞嗚命
大己貴命
誉田別命
栃木県小山市宮本町1-2-4
夏越の大祓(6/30)
八坂神社より勧進
八坂神社
素戔嗚尊
(牛頭天王)
京都市東山区祇園町北側625
祇園信仰
大祓式(6/30)
八坂神社総本山
江戸時代まで祇園神社
広峯神社
(wiki)
素戔嗚尊
五十猛命
兵庫県姫路市広嶺山52
広峯信仰(農業の神)
夏越の大祓(6/30)
牛頭天王総本社
津島神社
建速須佐之男命
御相殿:大穴牟遅命(大国主命)
愛知県津島市神明町1番地
あり
津島信仰
正月(1/4~1/7)
津島牛頭天王社
津島神社天王総本社
天王山八王子
(竹寺)
牛頭天王
埼玉県飯能市南704
あり
年中
素盞嗚神社
(wiki)
素盞嗚命
兵庫県宝塚市に7社
祇園信仰
夏越の大祓(6/30)
江戸時代まで牛頭天王社
弥栄神社
(wiki)
観光協会HP
須佐之男命
島根県鹿足郡津和野町後田67
(6/30)
注・すべてあげたらきりが無いものですからその神社名の本流となりそうなのをピックアップさせていただきました。
日本の宗教は仏教伝来により神仏習合されてきた。それが明治の神仏分離令から廃仏毀釈運動という仏教関係者には気の毒な流れになってしまった。
わたくしなりに整理して考えると
時代的流れ
①古来 神代の時代 スサノオの神話があった。
②仏教が伝来し神仏習合となり仏教系の神である牛頭天王を祭神とするようになる。(奈良時代以降、神宮寺を建立される。特に春日の局の時代習合が強くなる)
スサノオ⇒牛頭天王
③明治時代になり 神仏分離が廃仏毀釈へと発展し
祇園神社⇒八坂神社 牛頭天王社⇒広峯神社・須佐神社・素盞嗚神社・
津島牛頭天王社⇒津島神社
牛頭天王⇒スサノオ
簡単に言うと戻った 。
大まかに書きましたが、もちろん「客神の足跡様 一側面」 によるように”牛頭天王社”という名前が神仏分離によりその土地の名前をつけた神社へと変換していった事。佐渡相川町石花にある蘇民将来神社⇒牛頭天王社⇒素盞嗚神社(明治)と名前が変わった事例もあるでしょうが、その祭神・本尊はある意味同一視されおり、名前や宗教が変わっても内容はさほど変わらないのでは。というのがわたくしの感想です。
”茅の輪”伝承の流れ
◎備後国一宮 素盞嗚神社(広島県福山市) 『茅の輪くぐり発祥の地 』
または
◎須佐神社(島根県出雲市) 『茅の輪を玄関に』・・・本来の茅の輪の使用方法
◎須我神社(島根県雲南市) 『日本初之宮と呼ばれる日本初の宮殿』
↓
↓
◎広峯神社(兵庫県姫路市) →→ 広峯信仰(祇園)として全国に。
↓(八坂神社より先)
↓
◎八坂神社(京都市東山区) →→ 祇園信仰として全国に
◎津島神社(愛知県津島市) →→ 津島信仰として全国に
津島神社の由来によると 素盞鳴尊が朝鮮半島から日本に渡り”荒魂”は出雲国に、”和魂”は対馬から愛知県に移動している。(荒魂・和魂・・・神道における概念で、神の霊魂が持つ2つの側面)。
日本書紀を見てみると”建速須佐之男命が新羅国に 降到り ( くだり ) ” とあるように朝鮮半島とスサノオとが関係あることが分かる。八坂神社でも朝鮮半島との関係を表 ( おもて ) にしているようです。
そこで、朝鮮半島の田舎の風習などを調べてみると
『諸病を防ぐために「蘇民将来之子孫海州后人」の文字を、縦三寸横一寸の赤紙に書いて門戸に貼っている。また冬至の日に小豆を煮てアンコにし、部屋の鴨居に塗りつけるとか、陰暦正月十五日に部落の入口にしめ縄を張る祭祀がある』[*99 P473 12行目~15行目]
朝鮮の方達はこれらしきたりを意味も分からずやっているようですが、注連縄の風習、蘇民将来の護符を門戸に貼る風習は日本の風習と同じもののようです。
同時に「倭と日本建国史」では蘇民将来の説話と「ユダヤ人の過ぎ越しの祭り」に似ていることをあげ、他地域の伝説の類似点などを並べている。
『 『旧約聖書』によれば「過ぎ越の祭り」はユダヤ教の春祭りでその由来はイスラエル民族がエジプトで奴隷として圧迫されていた時代にさかのぼるという。
モーセはイスラエル民族を率いてエジプトから脱出しようとするが、エジプト王は許さない。絶望するモーセに神の言葉が下る。
「この月の一〇日に小羊を取り十四日に屠って流れ出る血を戸口に塗れ。目印にあるようにべったりと。そうして家に閉じこもっているように。その晩私の使いがエジプト中を風のように過ぎ越して、目印のない家に生まれた男の初子たちをすべて殺していく。そしてお前たちはエジプトを旅立つことになる」
その夜、神の教えに従ったイスラエル人の家には何事もなかったが、目印がないエジプト人の家では男の初子は皆死んでしまった。このことに怯えたエジプト王は夜を待たずにイスラエル人の出発を許した。イスラエル人はそれを記念して未来永劫に過ぎ越し(Passovei)を祭ることを誓ったという。
』[*99 P473 24行目~38行目]
*註・・著書中”Passovei”とありますが、”Passover”を英語訳すると”過ぎ越しの祭り”
出エジプト記のこのくだりは過ぎ越しの祭りとして「倭と日本建国史」を含め多くの著書で目にする事ができる。
『出エジプト記』と『備後國風土記』の説話もまるっきり同じとは言えないが 上記著書中の
「朝日新聞83.11.29の記事引用の中国大陸貴州省の伝承」などといったように他の国にも似た内容の説話があることからも民族の移動と共に説話の内容も少しずつその土地の特色を加味しながら日本に入ってきた事が分かる。
また、ユダヤと日本の関連性を挙げる著書の多くにも 現在のイランの西南部”スーサ”と”スサノオ” ”スーサの王”(ペルシャの王)という書かれ方をされています。[*101 P112]
面白いのは上記図にある「 九鬼 ( くかみ ) 文書(九鬼神伝全書)」に記される蘇民将来の説話です。 九鬼 ( くかみ ) 文書とは和歌山県熊野本宮大社の九鬼家に伝わる文書で、熊野神道の主祭神は「伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命」で素戔嗚尊の別名としている。九鬼家は自らを蘇民将来の子孫とし、分家の正月の行事では玄関前に「蘇民将来門」と書いた木札を下げ、競って取るといった風習もあるようです。
その 九鬼 ( くかみ ) 文書では”茅の輪”ではなく”ユダヤの星 ”を記した木札を軒下に下げるというのである。
ダビデの星の事を籠目(カゴメ)ともいいますが、茅を編んだ”茅の輪”と”ユダヤの星”と重ねて考えることもできるのではないでしょうか?
また、
◎”茅の輪”を8の字にくぐる こと
◎蘇民将来の護符に八角形や六角形の”こけし形”をしたもの
◎素盞嗚神社(広島県福山市)の本殿柱が八角形である事、
◎八坂神社
など八と言う数字にも意味がありそうです。
八咫烏、八咫鏡、八島、八雲といったように日本や中国では”八という数字”を良く好む。”八”は末永く(末広がり)であったり数が多い事のたとえにもされるが 蘇民将来の民族的思想として”八という数字”が反映されている事もあるのだろうか?
熊野神道九鬼家だけでなく、蘇民将来の木札を取り合うお祭りは 以前きわどい?ポスターで有名になった蘇民祭(岩手県奥州市)などでもありましたし、護符もさまざまな場所で配られているようです。スサノオを祀ったり、牛頭天王を祭ったり祇園であったり津島であったりさまざまな様式があるということは、一度にそういった思想や民族が入ってきたのではなく少しずつ時代を分けながら移動してきたことが推測できるのではないでしょうか。
わたくし、茅の輪くぐりを見たのも経験したのも『へび調査隊』での調査が初めてで、スサノオ(牛頭天王)を祀っている神社が国内にかなりあることも今回の調査で始めて知る事でした。 でも、このユダヤとかダビデとか言う言葉、なんか興味がありましてね。
父も歴史好きなもんで、いろいろルーツを調べたり滋賀県の街を訪れたりしたらしいんです。ユダヤ人とは関係なさそうなんですけどね、何かの本を読んで商人とユダヤ人とのつながりを思ったんじゃないでしょうか?
わたくしが子供の頃、「先祖はユダヤ系かも」といった事があるんです。プロフィールに記したように滋賀県の先祖をさかのぼっても外国籍の人居ないんですけどね「代々商人であったり、先祖の中にユダヤ人っぽい顔の人が居る」という言葉が妙にひっかかり、そういった関連の書物を調べるきっかけになったのかもしれませんね。(今回引用させていただいたのはほんの一部)。
まぁ日本人って、国籍が日本でもいろいろな国の顔の人多いですよね。ネプチューンの名倉君、スザンヌさんとかもね(笑) わたくしなんぞも横浜関内に修行にいったんですけど近くに中華街があるでしょ。最初の頃はお客さんに「中国人入れたの?」って言われたこともありました。 修行先の旅行で”タイ”に連れて行ってもらったことがあるんです。(親方や先輩の趣味がスキューバという事でその年はタマタマ、タイだったんです。) そうしたらわたくしタイ人そっくりみたいです。名倉君と一緒じゃん(笑う) そうそう 第12章のまとめにも書いておきますが 家紋の90% はバビロニアで見ることが出来るらしいですよ。
とすると 日本人の多くはそういった流れをくんでいるのかもしれませんね。
参考文献
*99 「倭と日本建国史」 著者:鹿島昇 編集者:萩原足穂
発行者:原田栄 発行所:㈱新國民社 平成9年
*100 「日本ユダヤ王朝の謎」 著者:鹿島昇 昭和63年8月改訂版
発行者:原田栄 発行所:㈱新國民社
*101 「日本人のルーツはユダヤ人だ」 著者:小谷部全一郎
発行者:瓜谷侑広 発行所:㈱たま出版
参考サイト
WIKI 各項目
京都祇園祭 様
大切なものを大切に☆彡 様
津島神社のしるべ 様
客神の足跡 様 (9)スサノオ信仰の一側面
その他にも・・・
デザイン前半では主にその効果を改めて確認できたと思います。
爽やかなイメージ あふれるイメージ 見ているだけで”わくわく”してきます。
色使いにもよるかと思いますが同心円をデザインに使って悪いイメージを受ける事がありません。
また、ここに掲載したものはほんの数例に過ぎないのではないでしょうか? 街を歩けばポスターや看板にあるいはパッケージにも使用されているものと思います。
広い定義では、文章、新聞中の箇条書きビュレット(ブレット)なども蛇の目模様です。
このHPにも”◎”を多用していますが文章中に ”・”ドットや蛇の目を配する事は目を引きやすく分かり易い。
それと同じように”蛇の目”同心円には人の注目を集める効果があることが分かります。
後半の海外の絵画、リースに見る蛇の目模様は思想的な、あるいは宗教的な意味も持っていることもわかりました。
リースや花輪は”再生と復活”を意味する。 今まで調べてきた”へび””蛇の目”の意味するものに より近いイメージをも持っていることに気づきます。
『へびって?』 (”へび”の事を調べてるページ)
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