蛇の目ってなんぞや?!
 
   蛇の目って?
「へび」を調べる 
- 蛇の遺物に見る民族の流れを探る -
 
第12章 蛇の目模様の起源 追記(2011.4.1)
 第12章一節で、環状(同心円)にすること。 その形状に対しての思想と起源を見てきました。
 その上で 『蛇の目(じゃのめ)』 という呼ばれ方について今一度 調べなおす必要があるのではと思いページを割くこととなりました。
 『蛇の目』というのは 本当に”へびの目玉”の形状から そう呼ばれるようになったのだろうか?
 
二、目の思想
①生き物の視点から
Ⅰ・鳥の目 魚の目
 一、蛇の目の意味 において”蛇の目” は へびの目玉の形状から来ていると調べ掲載してきました。
 へびは、まぶたが無い事、脱皮をする事、手足が無いなどによる特異性から古代より崇拝されてきました。そして、いつしか”へびの目”は”じゃの目”として意匠化され時に護符といった呪術性を帯びてきました。
しかし、 へびの目と同様な目をした動物は他にもおります。

サバ科
マグロ
アジ科
マアジ
フグ科
トラフグ
ネズミザメ科
ホホジロザメ
フラミンゴ科
フラミンゴ
フクロウ科
ミミズク
タカ科
オオタカ
コンドル科
ヒメコンドル
 鳥という生き物は、マリタ遺跡の白鳥像、エジプト文明等などの古代より崇拝の対象とされてきました。
自らよりも大きい動物を襲うワシ、タカ類、動物の屍を食らう掃除屋コンドル類、これら鳥も時に鳥葬(死体を鳥に捧げ)天に帰る助けをし神聖化されてきました。そして空を飛べるということは充分崇拝の対象になりえます。そういった鳥達の目も形状は”同心円”といえます。
 魚類も海からの恵として古代より大切なものとされてきたことでしょうし、逆にサメの様に人を襲う種もおり崇拝されてもよさそうです。大型の鯨もサカナではありませんが、古代の人々には偉大なものであったことでしょう。
 もちろん鳥類のすべてが同心円というわけでなく瞬きもします。魚類もよく見ると瞳孔が完全な円でない種も多く、瞬きもするサメもいます。しかしそれはへびも同様ですべてのへびの目玉が同心円ということではありません。

 
 そういった中で、同心円状のものを”蛇の目”と呼ぶことに改めて日本人とへびとのつながりの強さを感じるのです。




Ⅱ・ジャノメと付く動植物
 生物の中に自らの模様を同心円のように表し、”目”のように擬態化(カモフラージュ)し天敵から身を守る生物が多くいます。
 ジャノメチョウの貢で記しましたが、ジャノメチョウの大きい目玉模様は鳥に恐怖心を与えるため。小さい目玉模様は後翅にあり、自らの顔と見せかけそちらを鳥につつかせて被害を最小にし逃げるというものです。
 そういった鳥の本能をジャノメチョウは生まれ持って知っているという事です。
 
 現時点で和名に「ジャノメ」と付く動植物はジャノメイシガメジャノメガザミジャノメチョウジャノメドリジャノメナマコジャノメエリカジャノメギクジャノメキンバイジャノメマツジャノメアカマツ
 で、第九章に詳細は記しています。(未編集もあります。) これらジャノメと付く動植物のほとんどに”へびの目”といった学名(ラテン語名)、英名がでてきません。 
 唯一”ジャノメアカマツ”のみ
 [学名:Pinus densiflora f. oculus-draconis]でOculusはラテン語で「目」を意味し、draconisは「ドラゴン、竜」
 [英名:Dragon's Eye Pine]もそのまんま 竜の目松です。
 これはおそらく松の原産国が日本であり、その園芸品種のジャノメアカマツを命名したのが日本人であったから、あるいは日本の盆栽などに精通していた外国人が命名したものと思うのです。
 このことからも 同心円状の模様が”蛇の目”と呼ばれるようになる日本特有の面白さを表している事例といえます。





Ⅲ・擬態化し 目 になる 動物達
 先の「ジャノメと付く動植物」で記しましたようにジャノメと付く動植物には同心円状の斑紋がありました。
 ジャノメと付かないもののそういった眼状紋と呼ばれる目玉模様の生物が両生類、昆虫、タコや鳥類といます。その中でも魚類と蝶々や蛾の仲間には多いようです。 なぜこのような目玉模様、眼状紋があるのかまだ理由も分からない種類もいるようですが、ジャノメチョウの項でも記しましたように、いづれの動物たちもも2つのパターンにあはてはまるように思います。
 1つ目は 眼状紋をみせることにより(おど)かす
 2つ目は 小さい眼状紋を 頭部と思わせそちらの擬態した模様を犠牲にし、逃げること。
 または 例えば昆虫が鳥などの目に成りすます、魚などが自らをより大きく見せるため。といった自らの姿を偽る。(だま)
 といったパターンです。

 (おど)かす。 (だま)。ことは農作物を鳥から守る防鳥対策にも実際に行われています。
昔よく見た目玉風船 ローコストの CDぶら下げ

 また、餌の近くに”=+○◎”などの模様を隠し、鳥が来た時に見せるとどの模様をこわがるか?といった実際の実験でも、○をこわがり、◎は更にこわがることも判明しています。
 また違う実験で、カイコに大きさの違う目玉模様をつけたとき、小さな目玉模様のカイコにはムクドリは攻撃を仕掛け、1cm以上の目玉には驚くという結果もあるようです。(目玉模様をまったくこわがらないムクドリがいることも判明)[*92]

 このように目玉模様を持つ生き物達は、眼状紋が相手に与える影響を本能のように生まれ持って知っているということであり、眼状紋を持つ事によって過酷な自然界を生き残ってきた証であるといえます。

 そしてこれからご紹介する眼状紋を持った動物たちの学名にも ”へびの目”といった呼ばれ方はあまり無いようです。 
 ラテン語 「蛇」・・・ ”Serpo” ”Serpens” ” serpentis” ”Angue” ”Anguis” ”draco”
 英語 「蛇」・・・ ”Snake” ”Serpent”
 イングランド 「蛇」・・・ ”Worm”
 翻訳には自信がありませんが 蛇といった表現はされていないようです。




 
◎魚類  脊椎動物亜門[Vertebrata]
アイスポット シグリット [Cichla ocellaris Bloch et Schneider] シクリッド科
本種は側線が二本に分かれている。成長にともない体色や斑紋が変化すると思われる。魚食性。時に全長1mを超える。
分布:アマゾン川 (望月賢二)
(*89 P413)
アイスポット シグリット[英名:Eye-spot cichlid] 別名ピーコックバス[Peacock bass]  現地名ツクナレ[Tucunare]
ピーコックバスのピーコックは「クジャクの尾羽根に見える眼状紋」

この他 
シグリット科Cichlidaeキクラ属 Cichla にも似たような斑紋を持つ。
 キクラ・テメンシス(Speckled peacock bass)
   学名:C. temensis (Humboldt in Humboldt et Valenciennes, 1821)
 キクラ・インターメディア(Royal peacock bass)
   学名:C. intermedia (Machado-Allison, 1971)
 アストロノータス(Astronotus ocellatus) (本種は黒斑の周りが赤色
   学名:Astronotus ocellatus(Agassiz, 1831)

これら シグリット科の魚も尾の方に眼状紋があり、眼を狙って攻撃を仕掛ける鳥を欺くためといわれている。



エポーレットシャーク  [Hemiscyllium ocellatum] テンジクザメ科
エポーレットとは将校の肩章のことで、本種の鰓孔の後方にある黒斑に由来している。オーストラリアとニューギニア沖に分布し、サンゴ礁の浅瀬に生息する。全長1mほどの小型のサメで、人には無害である。テンジクザメ科。

(*89 P413 )


クロホシフエダイ(モンツキ)  [Lutjanus russellii (Bleeker,1849 ) ] フエダイ科
モンツキとも呼ぶ。幼魚は体側に数条の褐色縦帯をもち、内湾や川口に多い。側線上の大型黒斑は、老成魚では不明瞭になる。浅い岩礁やサンゴ礁で普通に見られる肉食魚。30~35cm
 分布:南日本;インド・西太平洋域 (荒賀忠一)

(*87 写真文ともP245)
フエフキダイ科のイトフエフキ[Lethrinus nematacanthus]もうっすら黒斑があります。
Regalecusは、ラテン語のregalis(王)とalex(ニシン)から成り立った 語で、種名(russellii)は人名に由来すると思われる。


ヒノマルテンス  [Zeus faber Linnaeus] ベラ科
体側中央の鮮赤色斑の大きさには若干の個体変異がある。習性はテンスと同様だが、テンスよりもやや深みにすむ。希種。20~25cm。
 分布:和歌山県南西岸、沖縄;インドネシア。(荒賀忠一)

(*89 写真文ともP149)
砂質域に棲むようですが、温帯に生息する事からもサンゴ礁に擬態するのでしょうか?目玉に擬態するか分かりませんが特徴がありますね~~。

同じベラ科の”ヒラベラ”[yrichtys pentadactylus   (Linnaeus,1758 ) ]は目の横に3つの眼状紋が並び胴体の真ん中にもうっすら黒い黒斑がある。 目だけでも左右で八個あるようにみえる。



マトウダイ  [Zeus faber Linnaeus]
体側に白くふちどられた黒色円形斑がある。背鰭の膜が糸状に長く伸びる。60~200mの泥質の海底にすみ、口部が上を向き、伸出できることから、底生動物食と思われる。30~50cm。
 分布:本州中部以南;~インド・太平洋域。(高松史朗)

(*89 写真文ともP181)
同じマトウダイ科のカガミダイ[Zenopsis nebulosa (Temminck and Schlegel)]も同じような位置に黒斑があるが不明瞭。


ラヤ・テクサナ [Raja texana] ガンギエイ科
アメリカ東岸に分布するガンギエイの仲間で、尾に発電器官があり、雌雄の交信に使われているといわれている。エイ類の中で唯一の卵生。ガンギエイ科は世界中に220種以上おり、サメ・エイ類の中で最も繁栄しているグループである。全長50cm。胸鰭中央の1対の斑点は眼状紋といわれ、外敵の目を惑わすためのものであろう。ガンギエイ科。
(*87 P4-26 写真:N.Coleman(O)氏)
他のサイト(ユーラシア大陸果ての定置網様)で下記のように記されていました。
[学名:Raja (Raja) miraletus] [英名:Brown ray] [ポルトガル名:Raia de quatro olhos]ガンギエイ目
Rajiformes メガネカスベ属Raja
texanaは「テキサス」 Rajaはラテン語で直訳すると支配者
quatro olhosは「四つ目」

同じように眼状紋のあるエイ
[学名:Raja(Leucoraja) naevus] [英名:Cuckoo ray] [ポルトガル名:Raia de dois olhos]

◎軟体動物門 [Mollusca]
イイダコ  [Octopus ocellatus / Octopus fangsiao]
マダコ科。全長20cm。北海道~九州・韓国・中国。内湾の水深10mくらいの砂やどろの海底にすむ小型のタコです。貝類やカニ類を食べます。
目の間に金色の四角い斑紋があり、目の前のまくの上にまるい紋があります。
(*90 写真文ともP50)

イラストは自作
敵が来ると眼状紋を見せおどします。


◎両生類  両生綱[Amphibia] 脊椎動物亜門[Vertebrata]
◎カエル
コロンビアヨツメガエル[Pleurodema brachyops]
 後ろ足付け根辺りの腹部、両側に目玉模様(眼状紋)がある。黄縁の黒斑


ヨツメヒルヤモリ [Phelsuma quadriocellata] 
 マダガスカル島にすむ、昼行性のヒルヤモリ族の仲間。
 前脚の脇の後ろ両側に目玉模様(眼状紋)がある。青縁の黒

◎昆虫類  節足動物門[Arthropoda]
ブラジルフクロウチョウ  [Caligo brasiliensis (Felder, 1862)]
♀(裏)

「へび調査隊記」竜洋昆虫博物館より
博物館では”フクロチョウ”との表記でしたがフクロウチョウの誤りのようです。
閉じた時に眼状紋が見える。開長(開いた時の横幅)8~15cm)



そのほかの
魚類
◎体側にうっすらとした黒斑
ウサギアイナメ [Haxagrammos lagocephalus(Pallas)]などアイナメの種類
トラフグ [Takifugu rubripes (Temminck and Schlegel,1850 ) ]
クサフグ [Takifugu niphobles (Jordan and Snyder,1901 )]などフグの仲間
◎尾近くの体側にうっすら黒斑
これらは尾の方を顔に見せかける、ジャノメチョウの小さい斑紋作戦といえる。
オキナヒメジ [Parupeneus cliatus(Temminnck and Schlegel)]
クロホシイシモチ [Apogon notatus (Houttuyn,1782 )]
オオスジイシモチ [Apogon doederleini Jordan and Snyder,1901 ]
コスジイシモチ [Apogon endekataenia Bleeker,1852]
◎背鰭に黒斑
ヒメオコゼ [Minous monodactylus]
ウミドジョウ [Sirembo imberbis (Temminck and Schlegel,1846 ]
ナガサキスズメダイの幼魚
 
甲殻類
マルバガニ [Eucrate crenata De Haan,1835]
 
昆虫 節足動物門 Arthropoda
タテハチョウ科 [Nymphalidae Rafinesque, 1815]のチョウ
トガリシンジュタテハ [Protogoniomorpha Wallengren, 1857]
ルリツヤシンジュタテハ [Protogoniomorpha temora Felder, 1867]
ヤママユ(山繭(蛾) [Antheraea yamamai]の種類 
イオメダマヤママユ [Automeris io]
オオクジャクサン [Saturnia pyr])
マエモンメダマヤママユ ヤママユの仲間は驚いた時などに前翅を大きく広げ後翅の眼状紋を見せる。
蛾や蝶の幼虫に眼状紋を持つ種類もある。
カメムシ目ヨコバイ亜目ハゴロモ上科
ユカタンビワハゴロモ [Fulgora laternaria ]

 このように生まれ持って蛇の目模様を持つ動物たち。 天敵は、鳥や大きな魚などだけであっただろうか? 案外人間の視覚にも本能的に訴えるものがあるのではないだろうか。




*87  「週間朝日百科 動物たちの地球85」 魚類Ⅰサメ・エイ・ヤツメウナギほか
  発行人:大峡弘通 編集人:長塚進吉 発行所:朝日新聞社 発行:1991
*89 「さかな大図鑑 (愛蔵版)」 発行者:小西和人 発行所:㈱週間釣りサンデー
  著者:荒賀忠一 高松史朗 望月賢二 小西和人 今井浩次
 学生の時にこの”さかな大図鑑”を見つけ「ほしい~~~!!」と思ったのだけどアルバイトをしたこともない私に定価1冊9800円は手が出せなかった。修行に出て、初任給の半分を両親に送り、翌月コレを買いました。修行時代もほんとによく読んだなぁ。 今でもこの愛蔵書は色あせていません。
*90 ニューワイド 学研の図鑑 「ニューワイド水の生き物」 発行人:伊藤年一
  編集人:鈴木進吾  株式会社学習研究社 2000年
*91 ニューワイド 学研の図鑑 「世界の昆虫」 発行人:岡俊彦
  編集人:志村隆  株式会社学習研究社 2004年
*92 「週間朝日百科 動物たちの地球003」 生活戦略③逃げる・隠れる・だます
  責任編集:常吉豊 編集人:野上毅 発行所:朝日新聞社 発行:1991




  
②世界の視点から
Ⅰ・お守りとして
ナザール・ボンジュ( Nazar Boncugu ) シュメール文明起源
 ナザール ボンジュウ はトルコ中心に
 ハムサ 中東において
 これらお守りは現代でも使用されているものです。

その起源は古く、現在見つかっている最古の文献は紀元前3世紀頃のシュメール時代のもので、シュメール王家の墓からメノウ製の「目」が発見されたようです。 
 その現物を見ていないのでどのような物かは判りませんが、 もしかすると 『へび調査隊記』 古代カルタゴとローマ展 で見た マスク形ペンダントの事か、そのマスク形ペンダントの簡略版、あるいはトンボ玉の事かもしれません。 

このハムサは中東において、邪視に対抗するアミュレット、護符として青い円の内側に黒い円の描かれ塗られたボール(または円盤)が用いられ、 イスラム教徒とミズラヒムの社会では、ハムサを壁などにかけた。
ようです。

 雑貨屋さんでこれを見かけたときは 目玉の親父?と思ったのですが ネックレスだけでなくキーホルダーにも同じ目玉状の模様が・・・。

 後で調べると、「凶眼の魔力」として トルコの人々老若男女全ての方のお守りとして必ず所持されているもののようです。


 赤ちゃんが生まれた時、新しい車を買った時、家を建てた時、事業を始めた時等、人が(うらや)むような良い出来事に対し悪魔がいたずらをしにくるようです。
 そういった悪魔の力をはね返すものとして、追い払うものとしてのお守りです。
ナザール・ボンジュウ
TOPKARI(トプカプ:有限会社アラトゥルカ様より)

 トルコ以外にも
チェシェ・ナザール(イラン)・・・青いガラスに目が描かれたもの。
ハムサ(アラビア語)は、主に中東で使われる、邪視から身を守るための護符。
ハムサ
(ファーティマの手・ファーティマの目)
RAPANUI(AA company)様より

 ハムサは主に中東での護符で ハムサ=数字の5 を意味し 5本指の形と共にやはり”目”が描かれる。

手のひらの中心に ダビデ(六芒星)が描かれる護符、また、トルコ石や、宝石をあしらわれるハムサもあるようですが、
RAPANUI様の画像が当サイトの画像にふさわしかったので使用させていただきました。 

参考までに
トルコ語で
悪魔に悪さをされる事・・・「Nazar degdi(ナザール デーディ).」
悪魔のイタズラされないおまじない・・・「Mashallah(マーシャッラフ)」 / または  テーブルなどを叩きながら「Nazar Degmesin.(ナザール デーメシン)」と言います。

参考サイト
JP-TR / 日本-トルコ ~~ トルコの観光・伝統文化の総合サイト ~~ 様

 「目には目を 歯には歯を」というハンムラビ法典の言葉にもあるように 邪視には邪視をという思想から生まれたお守りのようです。が、こういった目のおまじない、お守りはローマ時代の鉢にもしばしば使用されたようです。
 また不確定ではありますが、ナザール・ボンジュは メドゥーサとも重ねられているのではと思っています。





ウアジェトの眼(wedjat eye)  エジプト文明 
 エジプト展などに行くとスカラベの装飾品とともに必ずといっていいほど目にする。左右のバランスもお構い無し。しかも目から涙とヒゲが出た安定感の悪さ、それでいて金や宝石などで豪華に作られたものも多く「なんだろう?」と思うものの1つではあります。しかし、ホルスの目とも呼ばれ古代エジプトのシンボルであったウアジェトは『完全なもの』『怪我無きもの』を意味する。
 左写真のものはウアジェトの右側にコブラ(ウラエウス蛇)、左側にはシェンをつかんだネクベトがあしらわれたペンダント。ツタンカーメンの墓から出土した装飾品。
 高さ5.7cm、幅9.5cm [左写真*93 P50]

 ”ウアジェト”、”ウァジェト”、”ウェジェト”または”ホルスの目”とも呼ばれている。 初期には”月の目””ラーの目”とも呼ばれた。
 古代エジプトのホルス神はハヤブサの頭部を持つ太陽と天空の神で、その右目は太陽を、その左目は月を象徴していた。ホルスが父オシリスの敵セトを打つ時に奪われ、その後呪術の力によって回復した眼であることを表している。
 
 象眼細工[inlaid]などでつくられたウアジェトは、ネックレスなどの装飾品だけでなく、ミイラや棺に置かれる事もありました。エジプトの呪術的な護符としては最も人気があったと言われています。もちろん糞ころがしであるスカラベも護符として同様の意味を持っていましたが、これは太陽の循環と糞の循環を重ねそして再生を願ったものであります。

 ウアジェトの眼は棺の上に描かれるものもり、外の景色を見るためともいわれます。
 しかし、わたくしは、このウアジェトも護符であるとともに、 ”月の目””ラー(太陽)の目”であることから、循環と再生の意味が込められれているものと考えられる訳です。

 また、WIKIによると、処方箋のシンボルである”Rxマーク”とウアジェトの形状との関連性をあげていますが、これも同様に翡翠の大珠のような使われ方をされてきた理由の一つではないでしょうか。
 
例えば 左写真の掲載されている「古代エジプトの美展」図録には以下のように書かれています。『ウェジェトの眼は広く普及した葬祭用護符で一般的にミイラに巻かれた包帯の中から発見される。 ~ 中略 ~ これらは遺体のさまざまな位置に置かれていたが、単独あるいは紐に通したものが1連ないし数連、胸のあたりに置かれることが多かった (NR)』 (写真文とも*52 P171)

 
 ウアジェト眼も環状遺物で見てきた翡翠の大珠と同じように被葬者に置かれる場所が決まっていたわけでなくウアジェトが置かれた患部や魂をなぐさめる意味合いも持っていたことが推測できるのではないでしょうか。





船首に
 船首部分に目を描く風習は世界でも広く行われているようです。
たまたま「日立世界ふしぎ発見!」で台湾の蘭嶼村で船にまつわるクエスチョンがありました。そして、この村の船にも航海の時に迷わないようにと願いを込め、持ち主ごとに違った目が描かれていました。

『 左キャプチャ写真は
第1186回 「山と海の秘境へ あなたの知らない台湾」
2011/05/14(土)21:00~より 』
 もともとは、東南アジア、中国、インド、アラビアなどにひろがる風習で、日本では沖縄などの南西諸島でも行われています。
 
ちなみにこちらは14世紀ギリシア商船の”船首の目”
左イラスト [*94 D-80]より  
ダウ船の”船首の目” [写真*94 D-74 門田修氏]
ダウ船はアラビア海、紅海、インド洋で活躍してきた木造帆船の総称。左写真は「ブーム」という200トン以上外洋タイプ。
沖縄 進貢船の”船首の目” 海洋文化館HPより
面白い事に目が四角形でアカマタ?のような赤い蛇の装飾もあります。
沖縄 進貢船の”船首の目” 海洋文化館HPより
進貢船によって目の種類も違うようです。こちらはかわいらしいですね。
 (クリックで船首部分の拡大)

このように 船に目を描くことにより 航海を安全に運ぶ、大海で迷わないようにといった護符、お守りとしての意味を持たせていた事が分かります。


参考文献
*93 「図説 ツタンカーメン王」 著者:仁田三夫 
  発行:河出書房新社 発行人:若森繁男 2005年
*52 『古代エジプトの美展』図録 イートン・カレッジ/ダーラム大学所蔵
  監修:ニコラス・リーヴス/クレイグ・バークレイ
  編集:ニコラス・リーヴス/古代オリエント博物館 東京新聞
  執筆:クレイグ・バークレイ/トム・ハードウィック/スティーヴン・クワーク
     ニコラス・リーヴス/ジョン・ラッフル/ハンス・シュナイダー/スティーヴン・スパー
  発行:東京新聞c2008
*94 「週間朝日百科 世界の歴史14」 紀元前の世界3 生活 海に生きる
  責任編集:小川英雄 編集人:野上毅 発行所:朝日新聞社 1989年




Ⅱ・世界を見通す目として?
 正直、この目に関しては 都市伝説などさまざまな憶測が流れていてはっきり分かりません。

 ただ、目といって強力なインパクトがあるのは子供の頃見た『宇宙鉄人キョーダイン』なんですよね 右動画の”1:53~1:58”にチラッと”手に目玉のある怪物”が映るのですがそれが”ガブリン”です。「ガブリ~~ン」とだけ言う闇将軍なんですが、 子供達の間ではキョーダインと並ぶ人気者だった記憶があります。

 「うわ~~懐かしい!! 歌も覚えてるよ~~。」と思いながら、ついつい脱線してしまいました。 『蛇の目って何ぞや!?』もまとめに近づいてるのに大変申し訳ありません。
プロビデンスの目 (Eye of Providence)
 神が全てを見通す目 であるようです。
USドル紙幣に描かれているプロビデンスの目

『未完成のピラミッド型の建造物の上で、まわりを栄光の光によって囲まれる3角形の3つの目で監視する、という意味でできた。神の目で人類を監視していることを示している。フリーメイソンの図像学研究においては、プロビデンスの目は「神が全てを見通す目」だと考えられており、フリーメイソンの象徴とされる。』

写真文ともWIKI「プロビデンスの目」 (最終更新 2011年5月25日 (水) 14:30)




ボダナート (Boudhanath / Bouddhanath)
 四方を見渡すブッダの知恵の目 であるようです。
『ネパールのカトマンズにある、高さ約36mのネパール最大のチベット仏教の巨大仏塔(ストゥーパ)である。「カトマンズの渓谷」の一部としてユネスコの世界遺産に登録されている。

世界のチベット仏教の中心地であり、中心にはブッダのお骨(仏舎利)が埋められている。
ボダナートの「ボダ(ボゥッダ)」は「仏陀の」「仏教の」「知恵の」を意味し、「ナート」は「主人」「神」などを意味する。三重の基壇と直径27mの石造りドームからなり、その上には四方を見渡すブッダの知恵の目が描かれている。』
文はWIKI「ボダナード」(最終更新 2011年1月15日 (土) 17:56 ) 写真は(調査隊)





Ⅲ・ケルビムの目
ケルビム

*96 P91
1081年-1118年
クロワゾンネパラ・ドーロ部分
ヴェニス サン・マルコ教会
ケルビム

 *96 P88
12世紀
シチリア チェファル聖堂内陣を飾る天井モザイク
ドラゴン

*97 P13-331
(写真:オリオンプレス)
1456年?
パオロ・ウッチェロ作
ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵

 ケルビムとは「祈る」「祝福する」という意味の「カラブ(karabu)」という古いオリエントの言葉に由来する。
また、ケルビムは神の乗る動物として、先の『輪の思想』で記したように神と人間との「中間的存在」として天使と同じ仲間として表されている。
 そのケルビムの翼には写真下の拡大図に示すように多数の目が表されている。これは別名”智天使”といわれるように知の象徴であり、
『ケルビムの"全身、すなわち背中、両手、翼と車輪には、一面に目がつけられていた"』WIKI「智天使」 [最終更新 2011年5月9日 (月) 19:27]

 しかし、右写真ドラゴン。これは『聖ゲオルギスのドラゴン退治』という題の作品で、どういった思想からドラゴンに同心円が描かれたのか分かりませんが、ウッチェロのもう1つの作品のドラゴンにも円形紋が描かれている。
 先の『輪の思想』で記したように神と人間との「中間的存在」として天使と悪魔が同様な存在だったとすればこのドラゴンもある意味 悪魔としての「中間的存在」であり、 ケルビムの翼の目とドラゴンの翼の同心円も 同様な意味を持っているのではと推測するのである。
 ここでも 同心円と”目”というものが同じような思想を持っていることが分かるのではないでしょうか。



参考文献
*96 「天使の文化図鑑」 発行所:㈱東洋書林 発行者:成瀬雅人 発行:2006年
  著者:ヘルベルト・フォアグリムラー ウルズラ・ベルナウアー トーマス・シュテルンベルク
  訳者:上田浩二 渡辺真理
*97 「週間朝日百科 動物たちの地球131」 人間界の動物たち11龍、人魚、ゴジラほか
  責任編集:祖谷勝紀 発行人:長塚進吉 発行所:朝日新聞社 発行:1994




Ⅳ・メソポタミアの目
左はテル・アスマル出土(シュメールの都市エシュアンナ アブ神殿出土・前2600頃))の祈祷像 
アッカド時代である。

(クリックで全体像)
こちらは シリアのテル・ブラク (眼の神殿出土・前3500~前3300))
「朝日百科 世界の歴史3 D-80」より

アッカド時代以前のナガルの時代

 左の像の目の上はへび?
 写真のような像は東京国立博物館でも ”目の偶像”という名前で展示していました。シリアのテル・ブラクといえばこの像というほど多くの目の偶像が出土しているようです。

 これらに代表されるようにメソポタミアの像には 特に目を強調したものがよく見られます。
 「へびって!?」
五、シュメール文明の最後の方に蛇足として書きましたが シュメールの粘土板には文学中 ”me”と記され「神力」と訳す部分がしばしば現れます。 このスメルの人達はたとえばシャーマンのように”目”に奇特な能力を備えた人々であったのではとも想像しています。

 そういった能力や神秘性 と  へびを崇拝していた民族が、他の国から見たら異質なものに見え、メドューサ(古典ギリシア語:Medousa)へと想像されたのでは?と推測しています。
 メドューサとはギリシャ神話に登場する髪の毛の1本一本がへびで、そのを見ると見たものを石に変えてしまうという神です。
 先に見てきたナザール・ボンジュウもシュメールに起源を持つ事からも メソポタミアの人々の目に対する思い入れを知る事ができるのではと思います。





③日本の視点
 日本国内でオブジェ?としてそのまま ”目”をかたどったものや描画などがあるかは調査不足で今のところ気づいていません。 m(_ _)m
 しかし、目を使った慣用句は非常に多く、下記に記すように目を使ったことわざの中にも”見るという器官”の機能だけでなく 意思疎通や先々を見通す意味も含まれる事に注目できます。

目は口ほどにものを言う 目つきは口で話すのと同じくらい気持ちを相手に伝えることができる。
目は心の鏡 目を見ればその人の心がわかる。
目は人の眼 目はいちばん大事な器官。 その人がどんな人物かは目に現われる。
目鼻をつける 物事のおおよその見通しをつける。


目は重要
 
 ◎ 目は目でも 硬くまとまっている様子 コブになっている様子

結び目
節目
継ぎ目
魚の目

 ◎ 目は目でも アナが空いている様子
割れ目
台風の目
網目
籠目(かごめ)

 前者の”目”は 硬くなっている状態やコブになっている状態に”目”と付いているパターンです。
。その他にも 二枚目、三枚目という言葉があります。語源を調べれば歌舞伎役者の名前の書かれた看板に一枚目を主役、二枚目を美男役、三枚目を道化師としていた事による。といわれています。 これをわたくしなりに解釈すれば 一枚目という言葉自体使われないようにやはり2枚目が重要であった、そして一番要の主役を引き立てる三枚目も重要であった。という事になるのではと思うのです。
 紙やページを数える時には一枚目、二枚目、 また1ページ目、2ページ目といったようにワザワザ ”目”という言葉を付けることによって一区切り感がでます。 これは人生の節目節目 と同じように ひとまと といった意味合いもあるのではないかと思います。 人生も、入学、就職、結婚という一区切りを節目節目といい、竹も節目があるからしなやかに高く伸びていけるのではと思います。
 いづれにしても 時間軸での重要な場面、場所や、その物体自体が凝縮し硬くまとまる場面や部分を”目”と使っているようです。

 そして、後者はその反対でもあるようですね。 網目、割れ目、切れ目、裂け目、分け目、台風の目といったように、空間を表しています。
 しかし、網目もザルの目もその空いている大きさが非常に重要になってきます。魚にバレバレのような網の目では捕まえる事ができませんし台風の目も”目”がはっきりくっきりしているほど、勢力が強い事を表し、目が小さくなり無くなるほどに温帯低気圧へと変わっていきます。 割れ目、裂け目、切れ目も、その状態を何とか食い止めないと ちょっとした力で半分にあるいは粉々に割れてしまう状態といえるでしょう。はじというように時間軸での始まり、重要な場面を表しているのではと思います。
 分け目も 天下分け目、運命の分かれ目といった重要な局面でも使用します。時間軸でのはじめ、重要な場面のはじめという考え方では 前者も後者も似ている気がします。

 わたくしは国語の先生でもなく”ことばおじさん”でもないので こういった解釈くらいにしかできませんが いづれにしても ”目”をつけることによってその重要度が増しているように感じます。 簡単に”重要”という事でまとめてしまいましたが、いかがでしょうか。

 日本語の ”目” という使い方に ”蛇の目” ということばをあてはめて考えてみて下さい。
 生き物の目にもヘビと似たような同心円の目をした動物がいますよ~~。 また、日本では同心円状の模様を持った生き物がジャノメと呼ばれるんですよ~~~。 とご紹介してきた理由が分かっていただけるのではと思います。 
 ヘビの目が 同心円だから”蛇の目”と簡単には言えないような気がします。

 海外でも”目”という使い方をするでしょうか? そこまで調べていませんが
 この”()”というものは 日本独特な精神ではなく 古代よりそして現代でも神聖視されていることが分かるのではないでしょうか。
 プロビデンスの目が、フリーメーソンとか? いろいろな都市伝説などあるようですが、そもそも 動物たちも自らの体に模様をつくってしまうくらい ”目”って神秘的なものなんですよね。




三、穴の思想 未完成の完成
 蛇の目模様が へびの目玉の模様という理由だけでは無いという推定の中で 先にも見てきましたウロボロスや、環状遺物のように輪にするということについての考えです。 輪にするということ。それは穴ができるという事です。逆にこの穴ができることに、環状にする事にわたくしは意味があるのでは考えるのです。

玉璧 中国 玉製
新石器時代・前3千年紀
『へび調査隊記東京国立博物館より (09.8.27)』

 何度もでてくる玉璧です。
 この玉璧、『 
③ 北京オリンピック 玉璧 』の項でも記しましたが、完璧という言葉の語源になっています。

 なんで 穴(孔)が空いていて 完璧といえるのでしょうか?
 
アナ という漢字に関係のありそうなものを漢語林で調べてみました。

(K?n)
[漢]カン
[呉]コン
①あな。 (ア)地面に掘った穴。 (イ)墓穴
②穴に埋める。また、穴に落とす。穴に落ちる。
③はかる(銓) ④易の八卦の1つ。
形声。土 + 欠(音)。音符の欠は、口をあける意味。地面に口をあいている、おとしあなの意味を表す。

(K?ng)
[常]コウ
[漢]コウ
[呉]ク
①あな(穴)。また、すきま。=空。「眼孔」
②とおる(通)。達する。 ③むなしい。
④おおきい。 ⑤はなはだ。 ⑥孔子の略
指示。子は、子供の意味。L は乳房を示し、子を育てるための乳の出る穴の意味を示す。

(d?ng)
[常]ドウ
   ほら
[漢]トウ
[呉]ドウ
①ほら、ほら穴。「洞窟」 ②うつろ。むなしい。「空洞」
③とおる。(ア)つらぬく、つき通す。(イ)さとり知る。見ぬく。「洞察」 ④ふかい。奥深い。
⑤流れが速い。また、速いさま。⑥疑う。心がきまらない。
形声。?+ 同(音)。音符の同は中空の意味。水が通りぬけるほらあなの意味を表す。

(xu?)
[教]ケツ
   あな
[漢]ケツ
[呉]ゲチ
①あな。(ア)むろ。つちむろ。土室。(イ)つかあな。墓穴。(ウ)ほらあな。いわや。「洞穴」(エ)つきぬけているあな。(オ)くぼみ。へこみ。(カ)人体の急所。灸をすえる所。②うがつ。あなをほる。 象形。穴居生活の住居の象形で、あなの意味をあらわす。

 ”玉璧の穴”をGoogle翻訳すると”Jade wall hole” と約され、中国語ではどうなのかと  
 ”Jade wall hole”をGoogle中国語翻訳すると”玉壁洞”と訳されることから ”洞”という字も漢語林で調べてみました。
 結果として漢語林では いずれの言葉も ”アナ”の意 は ”あな(穴)” でありました。 ”目”という意味合いは無さそうです。

 このHPでは子供でも分かるHPを目指しているため ”孔”(こう 又 あな)という字も”穴”というように書いていることがあります。 ただ先の章であらわしたように環状遺物の項の ”有円板” というように 孔(こう)という漢字の使用例が多いのです。
 玉璧のアナに対する記述もほとんどが円孔 ”孔”という字の使用例がほとんどです。
 『Yahoo中国雅虎』(中国版yahoo検索)でも玉璧のアナは 洞ではなく”孔”が正しいようです。

 面白い事にその”孔”の漢字の成り立ちは漢語林が記すように”子は、子供の意味。L は乳房を示し、子を育てるための乳の出る穴の意味を示す”なのです。
 わたくしは アナというとまず女性の陰部を想像してしまいましたが、まず子育てのための母乳が出るアナが大切だったのです。


 要するにアナというと墓穴というイメージがあったのですが、ソコから生み出される思想があることが分かります。
 このものの考え方は”日本の目の思想”で 割れ目、分け目、裂け目、など中空なものにも目をつけることにより”はじ”、とする思想、中空から事が動き始まる考え方と重なるのではないかと思ったのです。 

 そして、なんで 穴(孔)が空いていて 完璧といえるか? もう一つの考え方ですが、

 日本には あえて一つ減らしたり、満たさないでおく思想があります。
 ◎日光東照宮の陽明門裏側の左手2番目の柱は"魔除けの逆柱"と呼ばれグリ紋の向きを逆にし、未完成な部分を残している。
 これは、家康遺訓「及ばざるは過ぎたるより勝れり」によります。
 ◎江戸時代には「家を建てるときは瓦三枚残す」と言い伝えられる
 ◎京都府京都市東山区にある浄土宗総本山の知恩院御影堂の一番上の中央に2枚の瓦を故意に置き忘れている。
 ◎徒然草 第八十二段 「すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏造らるゝにも、必ず、作り果てぬ所を残す事なり」 とあり、完全なものは決して良くはない、内裏を造る時も、必ず1か所は造り残しをする と記している。
 これら、4項目は「物事は完成した時点から崩壊が始まる」といういましめであり、建造物をわざと不完全なままにしておくという思想によるものです。
 
 ◎『茶の本』において岡倉天心は、「茶道の要義は、不完全なものを崇拝する」ことにあると説く。
 ◎千利休の逸話にも、完璧に掃除された庭を嫌って、樹をわざと揺すって一面に葉をまきちらして満足した。

例えば、幸せを分け合うという思想も 満足しない思想につながるのかもしれない。
 ◎生飯(さば)・・・禅寺で、お昼ごはんの最後に自分のお椀から7粒ほどお米を残し、取り分けて鳥や動物に施す習慣
 ◎建前(たてまえ)/上棟式(じょうとうしき)・・・建物が出来上がる前、棟木を上げるときに建物の無事を祈って御餅やお金をまく風習 わたくしの町周辺では今でも行なわれている。

 また、
 ◎「関東のいっこ残し」という言葉があります。関西では「遠慮のかたまり」ともいいます。出された料理の最後の一つを残す事を美徳とするものの考え方です。 しかし「関東の・・・」と付いているものの、地方に行けば「甲州の・・・」「信州の・・・」「越後の・・・」といったように「○○のいっこ残し」熊本では「肥後のいっちょ残し」というように 最近聞かなくなってきた風もありますが、いろいろな場所でこういった慣わしがあるようです。 最後に残すことをかえって卑しいという考えもあるようですが、真巳子調査隊員が世界を旅していた時は中国などでお皿を平らげると、また料理が出て来たようで、残す事によって「満足しました。」と表現する国があることを話してくれました。

 ◎ウォルト・ディズニーの格言でありますので、知らない方は少ないでしょう。 「ディズニーランドはいつまでも未完成である。現状維持では後退するばかりである。」 
 ◎先ほどの「プロビデンスの目」 のピラミッドも頂上が欠けた状態なのか、建設途中なのか満たされない状態にしてあります。
 
”満足すると其処で伸びは止まる。” ”完成の瞬間 崩壊が始まる” こういった ”未完成の完成”というものの考え方によるものといえるのではないかと推測するのです。

 中国に同様の思想があるものか分かりませんが推測の域から言えることは
 ③ 北京オリンピック 玉璧 の項で玉璧とともに
玉鉞(ぎょくえつ)についても少し触れましたが、玉鉞(ぎょくえつ)は”圭”ともいいますが斧を表したものですが、同様に孔が1つ稀に2つ空いています。 故宮博物館にあるような碑文の書かれた玉鉞(ぎょくえつ)にもわざわざ孔があります。
 
 また龍の喉元には
”逆鱗”(げきりん)という一枚だけ逆さに生えた鱗があります。それに触れると普段人間に危害を加えない龍も激高し、人を襲ってしまうというものです。 これは中国の古い思想家「韓非(かんぴ)」の著書「韓非子(かんぴし)」の中で言われている話です。 龍に逆鱗がある理由は分かりませんが、私なりに解釈すれば完全なる龍も一箇所不完全な場所を残しており、其処に触れると姿を変えてしまう(崩落する)といったいましめと考えるのです。

 先ほどの関東のいっこ残しならぬ「中国の一個残し」。中国にも同様な思想があったのでは?と思うのです。
 
 満足してはいけない。 完成してはいけない という戒めとしての先人の知恵から 未完成の完成といった思想へとつながったのではないでしょうか。



 蛇足的なことを言えば 都市伝説ではありますが 世界一と言われるビルや建造物を作っている最中に経済危機が起こるといわれている。 エンパイアステートビルやドバイも経済危機の為、開業後も空室のままであった。

  1929年 世界大恐慌 
  1931年 エンパイアステートビル竣工(最頂部 443.2m) 当時世界一

  2002年 台湾島北部でM7.1の大地震が発生。この揺れで、5人死亡
  2004年 台北101 世界一の超高層建築物(509.2 m)

  2007年 世界金融危機(リーマンショック)
  2008年8月28日 上海環球金融中心(SWFC) 492m

  2009年 ドバイ・ショック
  2010年1月4日 ブルジュ・ハリーファ ブルジュ・ドバイ
  
  2011年 東北地方太平洋沖地震
  2012年 春 スカイツリー開業予定

 この後も 世界では 
  クウェート「ブルジュ・ムバラク・アル=カビール(en)」 1,001m 2016年竣工予定
  アラブ首長国連邦「ナキール・タワー」 1400m 工事中断中
  サウジアラビア「キングダム・タワー」1,600m(1100m?)
  バーレーン「ムルジャン・タワー」1,022m
 などのビルが建設予定である。 高い建築物を建てる事が、バビルの塔のように神様の怒りを買うのか?あくまでも都市伝説なのか、 高いモノを造ったり、高い場所に行くことで、満足しきってしまわない様に注意が必要である。(笑)


 孔の空いた玉璧をもって完璧と成す。 権力、財力、子孫繁栄を 足るを知って維持しようとした事が玉璧の孔から推測できるのではないでしょうか。




 
四、弦巻の思想
 この 『蛇の目って何ぞや!?』 は 第十章で一度 まとめました。 

 だけど、これも”蛇の目”では無いかと同心円やドーナツ状の物などに ついつい目がいっちゃうんですよね。 目がいっちゃうと言うと いまどきの人は ”ヤバイ目をした人”に映るかもしれませんね(笑)
 そんでもって 調べれば調べるほど 面白いんですよ。

 でもこれって 自分が興味を持っていることだから楽しいんですよね。 例えば”蛇の目”というテーマでHPを作っていますが、 同じように楽しいと思えること、興味を持った事について調べたらそれはそれでいろいろな事に気づいたり新しい発見があるかもしれませんね。
 ココだけの話ですが 子供の頃、自分の店の屋号に”蛇の目”って・・・ なんとなく いい感じではなかったんですよ・・。
 でも 今は胸を張って”蛇の目”って、”へび”って奥が深いんだよといえそうです。



 さて、
 蛇の目の起源は ”国内にある” といった固定観念の中でいましたが
デザインを調べていくにあたり 蛇の目模様は世界にも そして 蛇の目の家紋にあたるものが 実はバビロニアにあることがわかりました。
 現時点の最古の家紋とおもわれるバビロニア(広くは紀元前1800年~前500年)の ”蛇の目紋の起源”を 見て頂きたいと思います。
 このころすでに ”蛇の目紋”があったということは それを意味するものがあったと考えられるわけです。
 例えば 写真にあるように ”抱き茗荷”という家紋がありますが、茗荷はミョウガ(茗荷、学名:Zingiber mioga)でショウガ科ショウガ属の多年草です。それを向かい合わせて家紋としているわけです。家紋には幾何学的な模様の家紋もありますが、自分達のエンブレムに無意味な模様は無いはずです。
 ”蛇の目”も同様に何かをモチーフにしていると考えられるわけです。

 ではこの”蛇の目”と呼ばれる 同心円状のものは 何か?
 ヘビ(SNAKE)の目 といえば そうかもしれない。 しかし、そういった思想がいつごろからなのか?そういった側面からみてきたのが、第11章の環状遺物に当たり、第12章が根底にある思想ということになります。 (順番は ちょいと逆になっている感はいなめませんが、一度第十章でまとめてしまいましたので・・・。)




①バビロニアに蛇の目紋(家紋)
 『天皇アラブ渡来説』 
  バビロニア学会・スメル学会 共著 
  校訂補註編者 八切止夫 
 著書中 また、見開きの写真に掲載されている写真 による。
p5
蛇の目紋(左上)
三割菊紋(上部中央) 
(右の家紋は?)
 p2 
 八剣輪宝(右上)・抱き茗荷紋(左上)
 左の写真はバビロニアの神社に寄進されたもの。右もバビロニアの遺跡から境界石として発掘されたもの。
 
 菊の御紋(菊花紋)については バビロニアの遺跡の模様と似ているといった著書もよく目にし、日本の国とアラブ地方との関連図書も多く見かけます。 同時に”月”や”太陽”状の家紋らしきものが施された境界石も、、多くのバビロニア、メソポタミアの書物でも目にすることができます。
しかし、明らかに抱き茗荷紋というように書かれている著書は今のところこの本くらいかなぁ。
 これらはどうみても日本の家紋と同一のものです。 八切氏は著書中 日本の家紋の90%以上をバビロニアの遺跡から見出すことが出来ると述べている。





②遺物の中の蛇の目(同心円)
Ⅰ・ シュメールの遺物の中に
 それでは同じ、メソポタミア地方、シュメール文明の中の遺物に蛇の目と思われるものが無いか調べてみたいと思います。
絵皿の模写

アラバチヤー出土
ハラブ期(前4500年~前4200年頃)

美しい幾何学模様


ただこれだけでは 蛇の目と関連付けできません。
キエンギ号に書かれたマーク
(「消えたシュメール人の謎」岩田 明著 背表紙写真より)

キエンギとはシュメル語で「葦の主の地」という意味。
左写真の書籍はシュメル民族は葦で作った船で日本まで航海できたのだろうかという著者岩田氏の航海記

 この旗のマークの出自を調査する必要がありますね。

彩釉タイル

アッシュール 王宮の壁。
発見されたものをアンドレ氏が水彩画にて描いたもの

(前890~前894頃)

これなどは後に記す
イスラム教徒とミズラヒム社会でのハムサの原型といえるのではないでしょうか?
有翼スフィンクスの装飾

ニムルード(ニムルド)出土

クリックで全体写真



スフィンクスの尻尾もなんだかへびみたい。
シュメール(アッシュール)では このへびの絡み合った装飾が好きなのか?
ニムルドは古代アッシリアの遺跡で出土地からおそらく前1300~前800頃)
イシュタル門 の窓
(前575年)
バビロン北部マルドゥク神殿8番目の門

コルサバード王宮の大門の窓(想像復元図)も蛇の目模様です。
レンガで窓を組むには丸のほうが強度があるということかな?
◎祭儀の模様を現したシュメールの彫像。紀元前3000年(バクダードのイラク博物館)

五、シュメール文明の③-Ⅶ・恐ろしい蛇 「マルドゥクと竜(ムシュフシュ)」の図の王冠にも同じような蛇の目模様が描かれています。

他にもこういった装飾はよく描かれていますが何を表したものなのか?蛇の目の起源だ!!というには決定力にかけます。
 

 少ない資料から コレだ!!と言えそうなものは判りませんでした。ただし、二匹の絡み合うへびのような模様と黒い目のような図柄は近い気もする。
  先にナザール・ボンジュやハムサがシュメール起源と記しましたが、同時に目を崇拝していたことを記しました。 これらも同様に”目”を表しているのではないかと推測するのです。

 
祭司ドゥドゥが献納した浮き彫り(奉納額)
(前2450年)
シュメールでは四角形で中央に穴が開いた多くの奉納額が出土しています。

シュメルのラガシュ市は、その都市国家の中で複数の地区に別れ、その地区ごとに氏神様のように守護神を置いていました。 左の浮き彫りは「サンガ職(最高行政官)のドゥドゥがラガシュ市エニンヌ神殿のニンギルス神に奉納したもの」。
 ニンギルス神は先に調べましたが、へびとは無関係な神のようですがこの奉納額には上記模様のように二匹のへびが絡み合ったようなデザインが施されています
 『地下水を表すとも言われているが 上記模様からもへび模様の可能性が高いと思う。


*ルーブル美術館参照
ウルナンシェの浮き彫り(奉納額)
(紀元前2600~前2330頃)
「アブズバンダ神殿 ウルナンシェ、ラガシュ市のルガル(=王)、グルサルの子(=市民)、グニドゥの子が
エニンギルス神殿を建てた
アブズバンダ神殿を建てた
エナンシェ神殿を建てた」

下段右側大きく描かれた椅子に座った君主ウル・ナンシェの左に「バルル、蛇使い長」が彫られている

*ルーブル美術館参照
 そして、このの奉納額。 これらの一般的な使い方は壁から出ている棒に奉納額の穴を通して納める。というのが定説のようである。
 しかし、写真にあるように 大きな穴と小さな穴の奉納額があるように、その奉納の仕方にはちょっとまった!!といいたい。


 台風の目、網の目と同様に 穴が重要 という思想である。 未完成の完成 という 玉璧の思想にも通じるような奉納額のあり方ではないだろうか?





Ⅲ・ ロッドとリング(Rod, ring and rope)

ハンムラビ法典が刻まれた石碑
(拡大) 「知の再発見」双書62 バビロニア
著者:ジャン・ボッテロ
監修者:松本健
訳者:南條郁子
発行者:矢部文治
発行所:㈱創元社 P66

*56にも掲載写真
ナンナ神とウルナンム神
(拡大) セム系部族社会の形成様
国際シンポジウム論集

*56にも掲載写真
Good Face

 ハンムラビ王(写真上)・ウルナンム神(写真下)ともに 棒とリング状の物を持っています。それでもウルナンム神の手に持つリングはロープであることがはっきりとわかります。 メソポタミアの資料のいくつかにこれは”建築の際の測量道具”と記されています。 わたくしは 何で測量道具を 王様が持っているのかなぁと以前より疑問に思っていました。
 しかし『ROD AND RING”: INSIGNIAS OF FOREIGN RULE IN THE UR III AND OB PERIODS†
Kazuya MAEKAWA
』の論文(P215論集になっており、重い)で 納得いたしました。マエカワ氏が記すには
これは、動物や奴隷をつなぐためのロープと鼻輪であるような事を書かれています。 確かに論文の写真中に鼻輪でつながれた奴隷の石碑図、牛につながれたロープの先にはロープを束ねたリング状のものが見えます。
 牧畜民であったセム系の人が、その権力を示す物としてリングを持っているということなのです。いつしかそれは象徴として木製であったものが金属になった可能性も示唆しています。
 (ただし、Google翻訳で翻訳しながらなので解釈に誤りがあった場合はご容赦願います。)

そこでわたくしは 気づきました。  ロープのような紐をぐるぐるにした状態の物。 
 それは ”弦巻”です。 
 蛇の目を辞書で引くと後の方に書かれている”弦巻”。 蛇の目の貢でも記しましたが現在WIKIで検索しても世田谷の地名としてでしか表示されません。

 しかし、シュメールにも起源を持つ日本人は知っていたのです。”弦巻”も”蛇の目”も同じものであったということを。
 おそらく家紋がバビロニアにあり、言語も日本語と近い民族であったことも推測されることから、古代バビロニアにおいても ”じゃのめ”と言う発音であったかことも推測できるかもしれません。
 そしてジャノメミシの『蛇の目ミシン工業』創業者 小瀬與作氏は偉大な文明シュメールの末裔だったのかもしれません?(なんちゃって) 

 バビロニアだけでなくペルシャの紋章アフラ・マズダ神も同様にリングを持っています。 こちらもおそらくリングというよりも 弦巻であったのではないでしょうか?

 
アフラマズダ神の持つリング
(左写真:askaina様より)

写真は中近東イランで撮影されたものと書かれていますが、”リング状の物”と”へび状の物”が色分けされており分かりやすかったので利用させていただきました。

 確かに 権力の象徴であったリング状のものは奴隷や家畜をつなぐものであったかもしれません。しかしわたくしは ”リング状の物=弦巻”は文明の象徴であったのではと考えるのです。 人類は石器、青銅器、鉄器など、素晴らしい道具を発明してきました。これらは土に帰らないものばかりです。しかし、土に帰り人類の発明として形を残しにくいが、紐、ロープ、衣服を織った糸、これらも人類にとって欠かすことのできない最高の道具でした。

 2万年のマルタ遺跡出土の女神にも衣服の痕跡があります。 
 住家、釣りの糸、石斧と棒を蔓で結ぶこと、生活するために必要不可欠なものであったことが推測できます。

蛇体把手付深鉢 
長野県尖石遺跡 縄文時代中期
高さ25.6cm 蛇身をモチーフにした装飾 *95

左写真の深鉢には”へび”のジグザグと同時にとぐろを巻いた状態で装飾されています。
『土偶に見るへび』で縄文時代の土器にへびが装飾されていることを記してきましたが、 縄文土器の多くに、そのままへびを装飾していないものの、蛇の目模様(環状)の装飾を施している土器も多く、へびと同時に蛇の目模様(環状)を装飾している土器も数多く見ることができる。


 
水煙渦巻文深鉢
曽利遺跡 高さ43㎝
深鉢形土器 *49
出土地:一の沢遺跡
寸法:高さ44.5cm
神人交会文深鉢
曽利遺跡32号住居址
高さ40㎝

 蛇の目紋の起源を 第十章で調べている段階で、縄文時代に家紋の起源がある。という”うわさ”がありました。しかし、それが何か、写真や参考文献などが明示されていなく確信できなかったのですが、バビロニアに”蛇の目紋”の起源があり、おそらくそれが何を表していたのかが、これではっきりできたのではないでしょうか。 
 ただバビロニアの境界石がいつ頃の時代であったのか正確なことはわかりません。ただ現在解ることはバビロニアで境界石を用いたのが メソポタミア、カッシーナ朝の時代であることです。およそ紀元前2000頃ですので、縄文土器の蛇の目紋のほうが若干古い可能性もあります。
 しかしわたくしは 世界はよりグローバルであったと考えますので、日本が最古であった可能性も考えられるし、世界は縄文時代以前よりすでに交易を行なっていたと考えますので、どこが起源かというのは難しいのでと思っています。



*56 『シュメル -人類最古の文明』 2005年10月発行
     著:小林 登志子  発行所:中央公倫新社 P256
*95 「古代史発掘② 縄文土器と貝塚」 編者:江坂輝彌 発行者:野間省一
  発行所:㈱講談社 発行:昭和48年




五、蛇の目模様の起源 まとめ

 第十章において蛇の目模様の起源 そして、一度まとめとして感想を述べています。 そして、その第十章におおよそ言いたいことは書いているんですよね。
 まぁ これも調査をすすめて行った過程の面白さとおもっていただけたら ありがたく存じます。


 さて ”蛇の目紋”(家紋)としてはっきりとした起源が、バビロニアにあることが分かりました。 
 わたくしが考えられる範囲から、その蛇の目紋が何をモチーフにしているか推測してまいりました。

   輪  目  穴  弦巻   

 これら思想は 蛇の目の起源にあたるものとして充分可能性があるもであり、すべてが蛇の目模様の起源と関わりのあったものと推測しています。 これら 『輪、目、穴、弦巻』を大事にする思想が、その時代時代に重なり合い融合しながら、今日の蛇の目模様の思想や意匠へとなっていったのだと考えています。  同時に人類の発展に必要であった思想であると思われ、特に日本人は同心円の模様にジャノメと付けたり、環状のものを意匠化したり、祭祀に利用して来たことがわかります。

 そして、もう一つこの同心円(蛇の目模様)と重要に関わっていたものが、”へび”であるということです。
 弦巻の思想でも改めて縄文土器の”へび”と”弦巻”と”蛇の目紋”を重ねましたが、こういった文明の道具が縄文時代以前にもあったことが推測できるわけです。

 HP作製当初 ”蛇の目”を辞書や辞典で調べだし、弦巻という存在を初めて知ったものの、結局は辞書に記されるよう ”弦巻”に戻ってきてしまったことを面白くおもいました。
 
 そして、この事により 何故 古墳に紡錘車が副葬品として納められるのかが理解できました。
 「紡錘車なんて王様や権力者が必要にしないでしょう?」「おそらく、下級の位や庶民が ”
調(ちょう)””(よう)”といった形で、租税として納める糸や反物を作る道具に使用していた道具が紡錘車では?」と以前から疑問に思っていたのです。

 しかし、ここまでの推測やこれまでに見てきたように、文明や権力を象徴する紡錘車もその意図するものは”形状”とともに”回転する道具”である事から 玉璧や環状遺物と同様に”再生と復活”を意味するものであると確認できるのではとおもうのです。

 下記守山遺跡からは弦巻とロッドをあわせたような儀杖も出土しており、他の場所でも同様な儀杖が出土していた記憶があります。

儀杖

服部遺跡
守山市服部町
古墳時代
守山市HP

守山遺跡は
 縄文時代中期、晩期、弥生時代中期、弥生時代後期から古墳時代前期、古墳時代後期、平安時代中期の6層からなる遺跡
 当時より、繊維や反物、糸などは重要な産物であり あるいは、メソポタミアや、ペルシャの王が持っていたリング(ロープ)と同様に権力が続くことを祈ったものであったかもしれません。

 そして 蛇の目の起源は弦巻と蛇の目紋のつながりからもわかるように、縄文時代以前の古代の人々の思想の中に生きていた。
 ”へび”のように長いものを崇拝し、”へび”がとぐろを巻いた状態を環状のものに重ね 死と再生 輪廻や復活を願ってきたものであった。 と 『蛇の目の思想』についてまとめてみたいと思います。




 そして 蛇の目紋を含んだ蛇の目の起源を 恥ずかしながら図にまとめてみました。


 精一杯の知識を振り絞ったまとめのまとめなのに ほんとに適当な地図で申し訳ありません。
簡単に説明いたしますと 
◎ピンク色矢印・・・矢印環状遺物の流れ
?状耳飾を含む装飾品、花輪(リース)としての副葬品の流れです。マリタ遺跡中心のシベリアバイカル湖から南下してモンゴロイドの流れとして日本の東北地方に入ってきているルート。
同様にメソポタミア、エジプト文明を通って日本に入るルート。 それ以前の時代は分かりません。
◎水色矢印・・・蛇の目紋の流れ
メソポタミア(バビロニア)の境界石に蛇の目紋と思える家紋が出土していますので、その流れを推測しています。 『五、シュメール文明』の項に記しましたがシュメール民族中央アジア起源説の根拠である崑崙山脈ホータンからの起源をとり、日本に入るルートです。 個人的には殷=商 商人=蛇の目という調査から殷を経由している可能性をあげました。 ホータン以前の時代は同様に分かりません。
◎みどり色矢印・・・環状列石(ストーンサークル)
シベリア、モンゴルあたりから東日本にかけての環状列石のルートが一つ、イングランド、スコットランド周辺からアフリカセネガル、インド 日本では足摺巨石群 唐人駄場ストーンサークルを筆頭に九州~機内にかけて東北地方とはまた違った環状列石群が伺えるのであえて別ルートに現しました。


 この図を見ても「よくわかんな~~い。」 と思われた方もいることと存じます。正直言って こんな簡単に人類の移動 思想や文化が現せるものじゃないほど 古代の方々はよりグローバルに世界を渡っていたのではというのが本音です。

 今では遺伝子という決定的証拠によってより真実に近い議論がされることでしょうが、DNAが見えないほど古い時代は分からないでしょうし、思想や文化の流れを解き明かす事は更に難しい事でしょう。
 今回、玉璧の起源ということでシベリアのマリタ村という存在を知りました。マリタ村には日本人そっくりの民族が居る事にうれしさと学ぶ事の楽しさを感じました。
 マリタ村ではどのような遺物や文化があったのだろうと  「モンゴロイドの道 朝日選書523」*88を見てみました。マリタ村の内容を一冊にまとめた本ではありませんでしたが、モンゴロイドが世界各地に居る事に興味を覚えました。 
 世界を調べていると なんだか どこがルーツでもどこが起源でも いいなぁ と言う
 いいころ加減な環状(感情)がぐるぐる めぐってくるんですようね。 

 生き物だって体にジャノメをつけているんだもん。 きっと蛇の目紋の歴史はもっともっと深いと思うなぁ。
 『蛇の目の起源(ルーツ)』を 地図にしてここからスタートで日本に入ってきたと表せないほど複雑であり、生物が同心円を体に描くほどに太古より意識されるものであったと推測するのです。 そして 縄文時代以前も以後もよりグローバルに世界中を運航あるいは渡り歩いていたのではないだろうか。そうやって、波が幾重にも押し寄せるようにこの日本に流れながら”蛇の目”という形で融和していったのだと思います。




六、蛇の目って何ぞや!? まとめ
 わたくしがこのHPで言いたいことは 世界のみんなが輪(和)=同心円のように一つになれたらいいなぁ。という事です。 それは第十章でまとめた事でもあり、このHPを作り始めた時、プロフィール欄の”巳右衛門”をクリックしていただけていたのならば、結論と言いたい事はご理解いただけたのではとも思います。

 あえて「へびって?」「蛇の目って?」と章を綴り、総論として「蛇の目って何ぞや!?」をまとめるとすると・・・。
以前 爆笑問題の 爆笑学問で
腹八分目のカロリー制限をする事で 細胞内のミトコンドリを増やし、活性酸素の発生を抑制し、
長生きする事につながる という大まかですがそのような内容の番組がありました。

そして ちょうどこのHPをまとめようとしている頃
2011年6月12日 NHKの番組で
 「あなたの寿命は延ばせる~発見!長寿遺伝子~」 という番組がありました。

 爆笑学問でやった内容と似ていたのですが、
この日の内容は さらに踏み込んでいました。

人間が長生きする要素として、ミトコンドリアを挙げていたのですが、もう一つの要素がサーチュイン遺伝子ということでした。その仕組みできるのは 人間が単細胞の時代までさかのぼります。 単細胞であった頃、 飢餓を乗り越えるためにDNAの螺旋構造の中に 「サーチュイン遺伝子」を作り出すのです。そしてDNAの中のサーチュイン遺伝子からテロメアとテロメラーゼ酵素が出て 老化した細胞を復活させるんです。
糖尿病やさまざまな病気も治す力があるらしいんですよ。
だから 飢餓のような状態を作る(カロリー制限する)とそれらにスイッチが入る。 というこれまた大雑把なあらすじなんですが・・・・。

 なんか、先に記した、「穴の思想」・・”満足しない事” にもつながりそうな生き方ですね。
念のためテロメアとその仕組みについてのURLをあげておきますが、 
 老化プロセスにおけるテロメアの役割 [AFPBB News 2009年10月06日 14:50]
 WIKI「染色体」 [最終更新 2011年6月9日 (木) 08:44]  

このURLを参考に作ったイラストを見ていただきたいとおもいます。


 染色体の中に2つの染色分体があり、1つの染色分体の中に1本のDNAがあるんです。 細胞が分裂する際にDNAの先端が短くなる(損傷を受ける)んですが(いわいる これが老化。)その老化もテラメアがDNAのキャップの役目をして、細胞分裂の時の損傷を防ぐんです。

 上のイラストに示すように人間が単細胞の時代、生き残るための情報をDNAという形で必死に書き込んできたんですよね。
 DNAの二重螺旋構造螺旋状に畳んでそれを更に螺旋状に畳んで更にぐにゃぐにゃに折りたたんで1つの染色分体を構成しているんです。 どんだけ 『螺旋』 が好きなんだ!!ということです。

螺旋にする事が地球の自転に関わっていたのかもしれませんが、こういった、細胞の意思が源として

 二重螺旋構造をカドゥケウスに、
 縄文時代から 蛇と重ねられてきた縄(写真: *5 P41)に、

 螺旋や循環の思想がストーンサークルに、
 そして、ウロボロスの思想や同心円へと重なっていったものと考えるのです。

ジャノメチョウなどの同心円を持った生き物達も生き残る為のノウハウとして細胞が必死にDNAに刻み込んできたことも同様です。

 私達の頭や心は気付いていないようでいて知っていたのです。細胞1つ1つの螺旋の神秘を 螺旋と循環を体に刻み込んでいることを。
 現在では遺伝子治療という形で体の外からDNAに働きかけようとしています。しかし、人間を含め、生き物達は、単細胞であった太古の時代からDNAを”へび”に見立て内からDNAに働きかけて来たのではないでしょうか?細胞が生き残るためにDNAにテロメアを作ったように。
 その細胞の祈りがへび崇拝であったり、長いものを神のように見立てたり、同心円に特別な思いを寄せる事につながっていったのではないだろうかと。

 
その中でも日本という国は 特に縄文時代の古代より”へび”を崇拝している国であり、より同心円と蛇の目(じゃのめ)を重ねることに細胞ともども納得してきたのでは無いでしょうか。

 



おわり。

参考文献
*5 P41 [12縄] 縄文時代前期(福井県鳥浜貝塚出土/福井県教育委員会蔵)
日本歴史展望 第1巻 原始ー古墳時代  「埋もれた邪馬台国の謎」 
 責任編集:上田正昭 田辺昭三  旺文社  


 あとがき

 わたくしは「蛇の目(じゃのめ)」ということで調べてきましたが、これが正解とははっきりいってわかりません。 また変更や加筆もあることと思います。一つの考え方として読んでいただけたらと思っております。 また、ご意見ご指導いただけるとありがたく思います。

 また、この度 第12章をまとめている最中、東日本大震災と原発の被害という苦難も起こりました。被災地の皆様に心よりお見舞い申し上げたく存じます。 
 最初のプロフィール中にも書きましたが日本に生まれて如何に幸せか、自殺者が多いことの危惧、などにも触れていますように、 人間や生物の神秘や生命力にまで つなげてきた この「蛇の目って何ぞや!?」でわたくしの書きたかったこと。
 私自身にも言い聞かせている事でもありますが、 ご先祖様たちが幾多の困難を乗り越え今のわたくしがあることへの感謝でもあります。 

   「努力していれば報われる。」 
 
 内なる細胞のDNAにイメージとして ”前向きに” ”ポジティブに” 働きかけたのならば、”へび”という動物が崇拝されていた理由でもある

 長寿と健康 商売と金銭運 水と豊穣 など
 こういったものに恵まれる。得ていくきっかけになる。と信じております。 

人間を含め生物は 強く念じそれに向かって努力する事によって、夢を実現できる可能性をさまざまな学問のなかからも確認できのではないでしょうか。

 
 最後に 本文中 さまざまなサイト様や参考文献、資料から引用させていただきましたことを感謝すると同時に、調査隊としてお付き合いいただいてる皆さんや家族に感謝申し上げます。




(また、ここで「終わり」 にすると成長が止まるといけないので満足しないように 次章予告しておきます。)

 次章予告    「巳右衛門へび史観」



 
2011年6月29日
        




 
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