蛇の目ってなんぞや?!
 
へび調査隊記
 2011年03月24日
 名古屋市調査隊記 本日の調査地
  ◎白龍神社
  ◎名古屋市博物館
  ◎名古屋城
  ◎トヨタ産業技術博物館
  ◎とだがわ公園
 はじめに、
 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)により被災されました皆様におかれましては、
心よりお見舞い申し上げます。被災地の一日も早い復興を心より祈念しております。
 この日を境にわたくしの仕事もキャンセルが相次ぎ、今思うと、今でも本当に辛い一年半でした。
 震災を報道などで見て、へび調査隊と言って遊んでいていいのだろうか、正直言って悩みました。でも自分たちがキャンセルや自粛で泣いているのに、このまま日本中が自粛していてはいけないと思い大型連休くらいと今までどおりの活動をさせていただきました。多くの方は毎週土日に子供とふれあうことができるかもしれませんが、土日に仕事の私が子供と遠出できるのは子供が大型連休の時くらいですのでどうかお許しいただけたらと思います。

名古屋市柳橋 白龍神社
 
所在地

愛知県名古屋市中村区名駅南一丁目8番14号

御祭神 神(タカオカミノカミ) ・・・雨かんむりに龍
須佐之男命(スサノオノミコト)
創建 紀元二千二百六十三年(1603)
由緒
当神社は紀元二千二百六十三年(西暦1603年)徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府を開設した翌年(慶長8年)に現在地は尾張の国広井郷と呼ばれ人家無く川巾3米位の清流(江川)で北から南に流れる美しい川で有ったが、現在は昭和8年車道拡張の為、江川は廃止となり、コンクリート管にて地下流となっている。此の美しき良き処に大神の社を建てお祀りすれば萬民の苦疫を救い幸をたれ給うとの神示が有り、此の清流の傍に柳の木が有り、始めはこの木に大神が住まわれた。そして神示を開き、この木下に社を建て人々が崇め拝むようになる。その後、柳の木が枯れた為に、現在有る御神木(銀杏の木)に大神が移られ現在にいたる。
 社を建ててから大神の御神徳が現わされ、誰が言うともなく白龍様と呼ばれるようになる。その後第二次世界大戦の時に名古屋は空襲にいく度か会うが、当神社御神木は戦災をのがれた。戦後、名古屋市都市計画(昭和21年より)が施行され、当神社は道路になる為社を約80米位北から南へ移転の時、現在地に御神木を御遷座(移植昭和33年12月)御本殿を造 営、御遷座(昭和37年4月)をして現在にいたる。
地図
大きな地図で見る
*上記案内は調査当時のものです。お出かけ前に電話等で確認の上お伺いください。
 


白龍神社
拝殿
御祭神:白竜大神(高神と須佐之男命の 二神を総して)

先にお参りして神様の許可を得て撮影。
なるほど白龍神社の旗が白と赤の紅白
奥宮
奥宮というより先ほどの拝殿に対してこちらが本殿という気がする。
御祭神:白龍王初春姫大神

あまり聞いなれない神様ですが、木曽御嶽山の三の池に祀られている。
母は御嶽山にも何度か登っているが御嶽山は力が強いって良く言っていた。初めて登ったときはひどかったようです。
狛犬のように 蛇石
わ~~~い。
中社
祭神:白徳明王大神
    白遍智徳大神

 右隣に銀杏の木(御神木)と言われている。 でもホントは柳の方がいいんだろうなぁ。柳橋っていうくらいだから。

西側拝殿上から
見える銀杏

『名古屋むかしばなし散歩道』(加藤昭)
四百年ほど昔のことだ。柳橋の近くの村で熱病が流行した。村長の徳兵衛は、氏神さまに毎日祈ったが病人はふえるばかりだ。ある夜、徳兵衛の夢枕に、まっ白な装束の老人が立って「流行病を治すには、江川の中で光っている石を見つけて、それを舟つき場の柳の木の下に祀ることだ」と言った。 徳兵衛は翌朝、江川に行って川べりを歩き、白い石を目をこらして探した。白く光る石がある。徳兵衛が石を持ちあげたところ、白い蛇が石にまきついていた。柳の木の根もとの穴に、石にまきついた蛇を入れ、しめなわを張った。 病人の熱は、その日のうちに、すっかりひいたという。
沢井鈴一さんの「名古屋広小路ものがたり」様HPより
社務所
 巫女さん?かなと思う女性がお神酒?を捧げていましたが、話しかけられました。
 社務所の反対側は住宅になっているようです。
神紋
感想
 名古屋市調査。本日朝一で伺ってきました。
県道107号線の東側堀川沿い堀川東通りを北上していくと白龍神社の幟が・・・。しかし、カーナビが示すのはもう少し北。後で調べてみると先に見た白龍神社は洲崎神社の摂社のようで、そちらにも蛇石が祀られているようでした。また、加藤昭さんの記す伝記からも洲崎神社は船祭りと言われる『洲崎の天王祭』もあるようなので船着場は後者中区栄の方でしょうか。また、むかし名古屋には白龍神社がいくつもあったようです。
 近くには白川公園、白鳥古墳と堀川沿いに白という名前が目立つ。
 尾張という国は高尾張族という豪族が治めていた国でした。そして八切氏がいう名古屋は海洋民族の国で天白川は昔”転白川”であり、”白”の民族が仲間入りするために転白川で禊をした。と記している。
 名古屋高速都心環状線の下、県道107号線は江川線というのでしょうか?ここには江川という川があって今は道路の下を流れているそうです。
おそらく赤である平家と白である源氏とが力を合わせるためにこのあたり江川に住んでいたのでしょう。 拝殿にあった白龍神社の旗が紅白なのも偶然か必然か判りませんが、そう言った意味ではないかと推測してみました。額の絵は龍?w
 
 ちなみに奥宮の御祭神:白龍王初春姫大神は木曽御嶽山の三ノ池(火口湖)に祀られているということですが、白鳥古墳のある白鳥庭園には御嶽山と木曽川をモデルにした庭園が広がり、名古屋の方には日帰り登山でができる御嶽山が人気のようです。名古屋の方がどうかはわかりませんが江戸時代より信仰登山が盛んに行われ白装束をした方たちが登るようですが、そういった関係があるのかもしれません。
  
 最後に・・・・この項目を編集し始めたら頭痛と気持ち悪さがひどくなったのですが、いろいろ調べているうちに頭痛も何もはなくなりました。柳の木の大神の思いをなんとなく理解しようとしたからかもしれません。

おしまい





名古屋市博物館
 名古屋市博物館 公式ホームページ
入口 玄関前の庭園
所在地

〒467-0806 名古屋市瑞穂区瑞穂通1丁目27番地の1

電話・FAX 電話:052-853-2655
FAX:052-853-3636
開館時間 午前9時30分~午後5時(入場は午後4時30分まで)
休館日
毎週月曜日(休日の場合は直後の平日)
第4火曜日(休日を除く)
年末年始(12月29日~1月3日)。
料金 入館は無料。
但し常設展観覧料は一般300(250)円、高大生200(150)円、中学生以下無料。
地図
大きな地図で見る
*上記案内は調査当時のものです。お出かけ前に電話等で確認の上お伺いください。
 


展示物
御物石器
 縄文時代晩期
 出土地不詳
 名古屋市博物館蔵
 『用途は明らかではない。明治時代、このかたちの石製品が皇室に献上されて皇室の御物となったことから、「御物石器」という名称が付けられた。』
 今回この博物館に来て一番おどろいたのが、この御物石器の大きさでした。15cm前後のものは見たことありましたが、全長30cmほどったように記憶します。この石器が何処から出土されたものかわからないのも残念ですが、これらの多くは飛騨地方の山岳地帯で多く見つかり、半分以上が岐阜県から出土している。
 具体的用途は不明ですが、明治10年に「御物となった石器」と札が付けら展示紹介されたことによりこの名がありますが、どういった意味があり何に使用したかはもちろんですが、なにゆえ皇室に献上されたのか?皇室にとってどのような存在であるのか興味深い石器である。
 岐阜県中心に飛騨地方から北陸地方に多く出土するが、形状から実用品ではなく、呪術的な道具であると考えられている。
 わたくしの個人的な考えでは、古墳時代に多く出土されるようになる子持勾玉に通じるものがあるのではないかと思っている。勾玉と子持ち勾玉は別物で御物石器と子持ち勾玉がイコールという考えです。 勾玉の形の由来に「動物の牙説、胎児説、魂の形説、巴形説、月の形説」などありますが、いづれの説にも子持ちにする必要性がない。突起をつける必要がないからです。
 そして、この御物石器の出土時代、地域からみてもわたくしはへびを崇拝した民族と何かしら関係のあるものと考えている。”ぽこちん”か出ヘソのような形をした石冠も半数が飛騨地方 この時代の人は石材を芸術的に創作する。全国の1割を飛騨で出土する独鈷石、数多く出土していないが多頭石斧、石棒や異形石器、群馬県木曽三柱神社の宝物(縄文時代晩期)として伝わっている”石剣”などは、”へび”とも”男根”ともいえるくねらせた形状をしているが、硬いが過度な力を加えれば割れたり欠けてしまう石を見事としか言い様がないフォルムに成形している。
石棒
 縄文時代中期
 岐阜県出土
 名古屋市博物館蔵
「用途についてはまだ明らかではない。住居の中や炉の付近に立てられていたものもあり、儀礼用のものとして、まつられていたものであろう。」
 こちらの石棒はどう見ても”ぽこちん”である。直径10cm内外、全長80cmほどあったように記憶している。立派なぽこちんである。 「蛇の目って?」環状列石の思想に記したように環状列石、リンガの思想と重なる「循環」と「再生」の儀礼に使用したのではないでしょうか。
常設展示室 フリールーム
中国の古鏡と神々

前漢(前2~前3世紀)の連弧紋縁蟠螭紋鏡(れんこもんぶちばんちもんきょう)から、和鏡である七鈴鏡(古墳時代中~後期(5~6世紀))の銅鏡を30点あまり展示している。
 蟠螭紋(ばんちもん)とは蛇が幾体も絡まった模様で表されるもので、西周時代後期にあらわれ、春秋戦国時代に盛行した模様。 蛇といえば蛇なのだが頭部がどうも龍っぽいものが多く、”へび”に特化した当HPとしては掲載には慎重姿勢。当HPにも中国商時代(前13世紀)の饕餮文(とうてつもんほう)にはエジプト文明のクサリヘビ(角のある蛇)に似たはっきり”へび”と思えるものもあるのですが
「中国の青銅器ゼミナール」様
http://chinaalacarte.web.fc2.com/seidouki-9-3.html
にあるような 角っぽいでもヒゲっぽい?手まである?ような模様も多いんですよね。
中国においては商(殷)の時代から時代を下るほど龍と重ねられていく傾向にあるようです。
船形木棺(ふながたもっかん)
弥生時代中期(約2000年前)
名古屋市北区平手町 平手町遺跡出土
 (名古屋市見晴台考古資料館)
『方形周溝墓の埋設施設として用いられた船形の棺である。実用の船には用いられないヒノキ製であり、当初から棺として製作されたものである。舳先(へさき)を北西に向けて埋設されており、被葬者は足を舳先に向けられていた。死者を船に乗せて死者の世界へと送り出す「舟葬」の観念が弥生時代にも存在していた可能性を示す資料である。』
 名古屋市北区平手町遺跡から平成20年に出土した船形木棺です。日本最古の「舟葬(しゅうそう)」として注目された展示物です。
 先日TV(2012年7月)ではアブ・ロアシュ(ラワシュ)で、第一王朝の王、デンの船が発掘された映像を見ました。紀元前3000年。全長約6m、幅約1.5mの木造の船です。クフ王も「太陽の舟」といわれる木造の舟が発掘されていますが、ラメセス6世の墓「死者の書」に書かれているように死者はラーの小舟に乗り旅をし、王として再び生まれ変わるのです。
 そういった思想がこの日本の弥生時代にもあったということです。
 エジプト文明時代すでに航海していた事実もありますので日本でもこれより更に古い時代の「舟葬」の形が見つかるかもしれません。遺物が腐ってなかったらですが・・・。
 この件に関わるかはわかりませんが、私の考えでは縄文時代後期、関東中部地方に人口増加が見られます。これは大陸からではなく、海洋からの移入と推測しています。

感想
 日本最古の舟形木棺が見れたことが何よりでした。わたくしは文化だけでなく民族が大陸からだけでなく海洋からも移動してきたと考えるものですから、これは貴重な資料といえます。 
 この博物館も基本、撮影禁止。簡単な手続きをすることによって許可カードをブラ下げ撮影することができます。
 そういったわけで、報道・批評・研究その他の引用の目的上正当な範囲内で写真を使用させていただきます。また、個人蔵や、他からの複製品も多く展示されていましたが、そういった展示物の写真は控えさせていただきました。




名古屋城
 名古屋城 公式ホームページ
所在地

〒460-0031 名古屋市中区本丸1-1

電話 052-231-1700
開園時間 AM9:00~PM4:30
※天守閣へのご入場は午後4時まで
休園日
12月29日~31日、1月1日(4日間)
料金 大人500円
中学生以下無料。

徳川園640円
観覧量減免有

駐車場 ・正門前駐車場
・二之丸東駐車場

(普通車 30分以内ごと180円)
地図
大きな地図で見る
*上記案内は調査当時のものです。お出かけ前に電話等で確認の上お伺いください。
 


巳右衛門(隊長) 「へび調査隊の皆のもの!」
「ここはわれらが織田信長公の生誕の地、名古屋城であるぞ。」
「小天守の整備は進んでおるか」
巳子隊員(長女) 「はっ 信長公は二ノ丸にて産まれたと言われております。
小天守の改修も含め整備は順調に進んでおりまする。」
巳右衛門  「うむ。」
巳美隊員(家内) 「それにしても私たちが調査に行くときに修繕中な施設が多すぎますなぁ。」
巳右衛門 「老朽化のためじゃろうか? しかし、こういう時こそ侵入者に警戒せねばならぬ。」

 ・・・
「まずは、城内もくまなく偵察し、警備を固めよ!!」
調査隊員一同 「ハハッ」
地階
大形玉子形桶枠 井戸枠 金鯱模型
巳美隊員 
 「地階は問題ござりませぬ。 え~と これでござりますか、」
 「この井戸枠と井戸は 黄金水井戸(跡)と言いまして、清正公が、慶長の築城の頃掘ったものです。本丸一帯は水質が悪く濁りがあって飲用にはならなかったのです。清正公は大阪城の”黄金水”、”太閤郭”の故知にならって、井戸一面に当時の大判を延べて、黄金の板をしいたら、しだいに水が澄むようになった。と言われているものであります。」
 「黄金や財宝は現在残っておりませぬが・・・。」
展示物
五枚胴具足 松鳥画(天井板絵)
重文
刀(生駒雅楽之助) 本丸御殿障壁画
復元模写
巳好樹隊員(長男)
 「隊長! この階も 異常ありません」
巳右衛門隊長
 「うむ。 ご苦労。」
巳子隊員
 「隊長!! アイスの味も異常ありません」

巳好樹隊員
 「異常ありません!  うまし!」
巳右衛門 「・・・・」
「あなたたち  必ずアイスか かき氷だね・・・・。」
巳好樹隊員 「隊長!! なにやら本丸に怪しい人影を見かけました。」
巳右衛門 「何!! やはり 来おったか・・・。
 まずは偵察部隊の鹿を堀に放て!!」
巳好樹隊員 「かしこ、かしこまりまして、かしこ」
巳好樹隊員
 「やっぱり、この鹿達は役に立ちますな」

 「ただ、一匹カメラ目線の者もおりまする。・・・」
 ・・・・


 「これはこれは へび調査隊御一行様 ご苦労様でございます。」(曲者?)
曲者?(くせもの)
 「今日もいい天気でござるなぁ」




調査隊員一同
 「?????」
巳子隊員 「隊長・・・。 どうも怪しいでござる。」
「金のシャチホコが あれはどう見ても・・・」
「名古屋名物 ”えびふりゃ”にございます。」
巳右衛門 「いかにも。」
「しかし隠そうとしても隠しきれない怪しいオーラを感じる。
まずは刺激しないように様子を見ようではないか。」(ひそひそ)

「ところで そなたは?」
曲者? 「これは、失礼。失礼。 ”エビザベス”と申します。」
調査隊員一同 「?! エビザベスは女性と思っていたのだが・・・。」
「あれは どう見ても オヤジでござる!!」
巳右衛門 「ものども!! あやつは偽者(にせもの)じゃ!!」
「警備を固めよ!!」
調査隊員一同 「ははっ~~~ !」
「本丸を守れ!!」
オヤジ 「バレちゃ~~~しょうがみゃ~~」
「殿! 一気に攻め落としましょう!!」
相手方侍 「おいらのぜんまい キコキコしちゃう!!」
「ぜんぜん ぜんぜん ぜ善がぜん ♪」
「ぜんまい侍 ぜぜんがぜん!!」  って  
 
      「ぜんまい侍 じゃ な~~~い!!」
 
「せっしゃ・・
 400年の旅人
   ”はち丸”」

「名古屋城は我等のものでござる!!」
巳子隊員 「何をいうか われらは信長様親衛隊でござる。」
「まずは 石垣に鏡石として鎮座する ”清正石”を見よ。」
「たいていの武士はこの石の大きさを見て、いかに落とせない城であるか知るのである。 加藤清正築城 名古屋城であるぞ」

(修繕中で、防護壁の隙間から撮影。))
巳好樹隊員 「つづいて! 掛川城にも劣らぬ針攻撃(掛川城調査記) 」
「受けてみよ!!」

「これでは 上れまい!! かっかっか(笑)」
「べろべろべ~~。」

「ぴ~ひゃら ぴ~ひゃら ぱっぱ ぱらぱ~~」


「コマネチ!」
巳右衛門 「ついに正体をあらわしたな!!
 やはりエビザべスではないではないか・・・

 しかも、このオチャラケ加減  むっむっ  無念じゃ・・・。」 
調査隊一同 「隊長~~~~!!!」
「大丈夫ですか・・・」

巳右衛門 「これは、
明智光秀のさしがねか、それとも豊臣秀吉の刺客か・・・」
「仕方ない 今日の所は退却じゃ!!」
「それでも 金のシャチホコは保護させてもらうくからの~~~」
調査隊員一同 「さらばじゃ~~~!!
「ちなみに 5階では実物大金鯱模型が置いてあり、

青空を背景に、金鯱にまたがって記念撮影できるのじゃよ。」


「こんな感じにね。↓」

「名古屋はまた調査することとなろう・・・・。」

感想
 名古屋城警護のつもりが、なんだか最後はシャチホコ泥棒のような展開になってしまいました・・・(汗( ^^ゞ)。

 さすが開府400年といわれる名古屋はもてなしの街。コマネチとかはやっていませんけど”はち丸””えびザべス”のサービス精神には癒されました。
 もてなしといえば 「名古屋おもてなし武将隊」。残念ながらこの日は会えませんでしたが編集している今現在(2012年8月)名古屋城にて毎日のようにいづれかの武将に会えるようですし、土日は「おもてなし演武」も見られるみたいでござる。 これは見逃せませんなぁ。

 ところで、へび調査のほうですが、こちらは、
緑羅紗地火事兜(みどりらしゃじかじかぶと)
 江戸時代
 名古屋城振興協会蔵

 「武家の家事装束は、火事のさい、消化指令を出すときに身につけるもの。
 本資料は、段変わりで華やかな模様を散らす火事兜。最下段の龍は、水を支配する霊獣である。」

兜の前立てに蛇の目九曜紋 !!

どなたが身につけていたものか、この当時尾張藩で蛇の目九曜紋を使用していた人物を博物館に電話にてお伺いしたのですが、

「当館が購入したものですが詳細はわからない」
とのことでした。
  当HP「蛇の目家紋」の項に、安土桃山時代の武将佐久間信盛が蛇の目九曜紋であり尾張出身ということを記しています。
 そして佐久間信盛の従兄弟に佐久間盛政がおり江戸時代、子孫が尾張藩にいますので、おそらくその子孫がこの火事兜の持ち主ではないかなぁと思ったんです。

 佐久間盛政には虎姫という一人娘がいるのですが、その子重行が初代で盛政の名跡を継ぎ、重行、重直、重勝、重賢、重豊、雅重と尾張徳川家の家臣として存在したようです。
 しかし、佐久間氏は桓武平氏の流れ三浦氏の子孫なため家紋が「丸に三ツ引」を原型にした家紋の方が多いようです。さらに、佐久間重行の頃には幕府の重臣である板倉家から下賜されたと思われる家紋「三ツ頭左巴」のようです。
 
結局 「蛇の目九曜紋」が誰であったか特定することはできませんでしたが、佐久間信盛の血筋が尾張国に続いていたことは確かということで、今回は久しぶりに『蛇の目紋』について調査できました。
 




トヨタテクノミュージアム 産業技術記念館
 トヨタテクノミュージアム 公式ホームページ
所在地

〒451-0051 名古屋市西区則武新町4-1-35

電話 TEL: 052-551-6115 FAX: 052-551-6199
開園時間 AM9:30~PM5:00
休園日 月曜日(祝日の場合は翌日) 年末年始
料金 大人500円 中高生300円 小学生200円 65歳以上無料
トヨタ博物館 共通券
大人1200円 中高生640円 小学生460円
駐車場 無料駐車場完備
地図
大きな地図で見る
*上記案内は調査当時のものです。お出かけ前に電話等で確認の上お伺いください。
 


 「ひょ~~。」 昔の工場をそのまま利用した赤レンガの壁が重厚ですね~~。
蒸気機関
時間によって動き出します。

蒸気の力によってこんなでかいものが動くってすごいですね。
テクノランド
ウォータージェット・シュート ミッションでミッション
キッズランド 
ぴたっとブレーキ リズムピストン
感想
 トヨタテクノミュージアム 産業技術記念館は
 ◎繊維機械館
 ◎金属加工技術の実演コーナー
 ◎自動車館
 ◎テクノランド
 ◎蒸気機関コーナー
 ◎図書館、ビデオライブラリー
 ◎ショップやカフェ、レストラン
 ◎その他、トヨタグループや、工場の建物や設備について知ることができる施設
などがあります。
 トヨタのこの施設の中に公営科学館並みの施設があるってすごいですよね。
 近未来的な雰囲気がただよう展示体験コーナーに自動車のブレーキ、エンジン、力学的な事をまなべるようになっているようです。
 残念ながら今回伺ったのはエントランスから蒸気機関コーナーを見て自動車館とテクノランド、それとお土産のショップを見ることのみでした。
 じっくり見学すれば、半日以上楽しめる施設なんです。ホントはもっとじっくり見学したかったのですが巳好樹隊員には身長も年齢も満たなくて楽しめるものがココ、テクノランドには少なかったのです。

 キッズランドで遊んではいたのですが・・・。
  こりゃいかん。と巳子隊員が一通り楽しんだ所で移動する事としました。
 巳好樹隊員も男の子なので小学生になったらもっと自動車に興味が出ているだろうし、その頃また来ようかな。




名古屋市 とだがわ こどもランド
 とだがわ こどもランド 公式ホームページ
展望塔より
所在地

〒455-0873 名古屋市港区春田野1-3616

電話 052-304-1500
開園時間 9:00~18:00 (4月1日~9月30日)
9:00~17:00 (10月1日~3月31日)
休園日 毎週月曜日(月曜日が休日の場合は直後の平日) 
12月29日~1月3日
料金 無料(一部有料の乗物遊具有り)
駐車場 第2駐車場 100台、他に戸田川緑地駐車場有り・いずれも無料
(戸田川緑地のイベント時に有料となる日があります。
地図
大きな地図で見る
*上記案内は調査当時のものです。お出かけ前に電話等で確認の上お伺いください。
 


園内地図
今回主に伺ったのは、南地区。

西にはキャンプ広場、芝生広場、パターゴルフ、おもしろ自転車コースも
中央地区には多目的広場やインラインスケート広場?なるものまであるようです。

南地区だけでしたが 半日め~いっぱい遊べる広場でした。
木製大型遊具
プレイハウスという小さい子が楽しめるボールプールのある塔と隣接。

2階部分からつながるローラー滑り台など遊具がいっぱい。
子供遊具
じゃぶじゃぶ池
水深の浅い水遊びゾーン

富士山のようなキリフキ山からの滑り台や水に浮かぶ木製いかだ

があり、夏場には水着で楽しめそう。

この日はちょうど桜も咲いており
桜の花が


花壇にの花も綺麗に咲き誇っていました。
その他の施設
展望塔

無料。
地上から20mの高さまでエレベーターで登ることができます。階段での昇り降りも可能。

戸田川緑地や山々の展望を望むことができます。
サイクルモノレール

この下に足踏み型ゴーカート乗り場もあります。

ともに有料
 サイクルモノレール 1周/100円
 足踏み式ゴーカート 10分/50円
フラワーセンター

有料

中央のホールを囲むようにランや熱帯、亜熱帯植物を展示する4つの温室を備える。
WIKI(最終更新 2012年6月18日 (月) 13:19 )では無料となってるが?無料になったの?
とだがわ陽だまり館

アイスやジュース、を買える休憩所。
地元の農家が野菜を出品していました。

感想

 南側には陽だまり館以外にもレストハウスがあって軽食やスナック菓子等も提供しいます。・・・もちろん隊員たちはそこでアイスを食べるのでした。
 本館、管理塔のほうではボランティアによる工作やゲームなどイベントも行われているようです。

 それにしても 愛知県の公園は規模が大きいです。昼2時過ぎから夕方までめいっぱい巳子隊員も巳好樹隊員も思いっきり楽しみました。結局中央と西ゾーンは全然偵察にもいけないほどでしたが・・・。

 せっかく県外に行くんだったと、早朝からいろいろな場所にということで、白龍神社から博物館、そして名古屋城へ。名古屋城は巳好樹隊員が行きたいって言ったんです。標識が見え始めたら「お城お城」って。それからトヨタテクノ、とだがわ公園・・・。いくつも回ってしまいましいましたが、子供たちはココだけでもまる一日楽しめたかもしれません。 
 
 へび調査隊としましては、『白龍神社の蛇石』。名古屋城『佐久間氏の蛇の目九曜紋』と調査大成功。
 そういえば家内(巳美隊員)は・・・・・
 え~~と イオンショッピングセンターの柿安の系列の「ハンバーグ」だった。写真撮るの忘れちゃったなぁ。 それでも皆大満足ということで。
 
おしまい





 
前ページに戻る
「へび調査隊」目次



へびって?(ヘび民族のルーツの探求)

蛇の目って?(「蛇の目」の事を調べてるページ)

蛇の目ってなんぞや?!(ホームに戻る)