蛇の目ってなんぞや?!
 
へび調査隊記
 2011年08月03日
 朝一で、瀬戸神社(神奈川県金沢区)に そして調査隊員を八景島シーパラダイスにご案内。両者はすぐそばの距離です。 へび調査隊員みなさんの興味はもちろん八景島シーパラダイスでしょうが・・・、
 隊長の興味はもちろんワンピース(漫画)のナミちゃん 蛇混柏(じゃびゃくしん) なのさ。
瀬戸神社
http://www1.seaple.icc.ne.jp/setojinja/(公式ホームページ)
所在地 横浜市金沢区瀬戸18-14
電話番号 TEL 045-701-9992
駐車場 裏に数台 又は
神社隣のダイエー駐車場。社務所で駐車券にスタンプを。(無料)
主神 大山祇命
配祭神 須佐之男命、菅原道真公など11柱
地図
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*上記案内は調査当時のものです。必ずオフィシャルサイトでご確認の上お伺いください。
 





神社全景
<由 緒>
 大昔、今日の泥亀町から釜利谷東一帯は大きな入り江でした。この入江と平潟湾とは、今の瀬戸橋の位置にあたる狭い水路状の海峡でつながっていました。
 そしてこの小さな海峡は、潮の干満の度に内海の海水が渦を巻いて出入りする「せと」でした。古代の人は水流の険しい「せと」を罪穢れを流し去ってしまう神聖なところとであるとして、豊かな幸をもたらしてくれる神々をここに祀りました。
 これが瀬戸神社の起源で、発掘された祭祀遺物などから古墳時代に遡るころと考えられます。
 鎌倉に幕府を開いた源頼朝は、伊豆での挙兵にあたって御利益を蒙った伊豆三島明神(三島大社)の分霊をこの「せと」の聖地に祀り、篤く信仰しました。
社殿の造営も行われ、今日のような神社の景観が出来上がったのは概ねこの頃のことです。
 以後、金沢(六浦)の地は港町として発展し、鎌倉と関東一円を東京湾や利根川を水系利用して結ぶ水上物流の集散地となりましたから、執権北条氏、ことに金沢に居を構えた金沢北条氏、また関東管領足利氏や小田原北条氏の崇敬も篤いものがありました。
 
神社鳥居左手 境内 手水舎
拝殿
本殿
主神 大山祇命(おおやまつみのみこと)
 大山祇命は伊予国(愛媛県)大三島の大山祇神社、伊豆国(静岡県)三島大社の祭神と同神で、港の神、海上渡航の神、交易の神として古来より信仰され、交通安全、旅行安全、商売繁盛の守護神として知られています。
 また同時に、そのお名前の通り山の神であり、森林そして水源地を司られることにより人間の生命に直結するお働きを顕しておられることはもちろん、金属・岩石・木材・鳥獣・草花などの建築資源・生活資源の多くはこの大神の恩恵によるものです。
 また、娘神である木花咲耶姫を天孫瓊瓊杵尊の后神とされ、木花咲耶姫の御生みになった御子神が、いわゆる山幸彦・海幸彦にあたります。
ですから縁結び・安産の神でもあられますし、皇室の外戚となられた国つ神の代表として国土の経営にも御功績を現わされた調和のある国土開発、国家安泰の神でもあらせられます。
配神 速須佐之男命(はやすさのおのみこと)
速須佐之男命は天照大神の弟神ですが、八岐大蛇を退治した神様であることで有名です。自然界や人間界の罪やけがれ、病気や邪悪なものを追い払い、人々の苦しみ、悩みを除いてくださる災厄消除・病気平癒・破邪顕正の神様です。7月の天王祭には大神輿で氏子町内をくまなく巡幸されます
配神 菅原朝臣道真公天神様
菅原道真公は、学問、書道の神であるばかりでなく、誠実・忠節、清廉にして勤勉の神様でもあります
蛇混柏(じゃびゃくしん)
横から幹の空洞を


文明十八年(一四八六) 萬里和尚の詩の自註に「六浦廟前有吉柏屈繁」とあり、延宝八年(一六八〇)八月六日の大風に転倒して後も朽損せず、新編鎌倉志、江戸名所図絵などにも「蛇混柏」と称した名木で、金沢八木の一つである。一部は本殿内陣の御扉材に使用されてゐる。
神社左手 青麻宮、末社
右側に菅原道真坐像
右手 祖霊社 右手 岩壁に祠
山全体が 御神域 (かや)の木
樹齢1000年いわれる銘木
謡曲「放下僧」の遺跡
敵討ちをしたらしい
琵琶島神社
 源頼朝公の御台所北條政子が 深く信仰した近江国の竹生島弁才天を勧請し瀬戸神社々頭の海中に島を築いて祀ったと伝える 島の形が琵琶に似ていたので琵琶島弁才天と呼ばれた。室町時代には船寄弁財天とも称し 又、御神体が立像であることから 政子の出世に因んで江戸時代には立身弁才天の信仰を集めた
琵琶島神社 入り口

瀬戸神社の正面海側に歩道橋を渡って向かう

鳥居右手の大きな石は、「金沢四石」といわれ、源頼朝が服を掛けたことから「服石」とよばれ「福石」となったとか。
「へび調査隊」江島神社(10.3.29)でも「福石」がありましたが、ここでも「この辺りで物を拾うと裕福になれる」という噂があるようです。
なんだか気持ちのいい道でした 小島への桟橋 琵琶島神社
琵琶島神社 本殿
立身弁才天 石像


感想
 今回の調査は夏休みであり、家内の母、姉家族と合同の調査。 といっても金沢八景島シーパラダイスに遊びに行くついでに 近くに瀬戸神社なる神社があり蛇混柏(じゃびゃくしん) があるというので此処によることとなった。
 ただ単に”へび”という字があるだけのようにも思われますが、註釈に大風に転倒して後も朽損しない銘木「六浦廟前有吉柏屈繁」とあり朽ちない様子を不死身、再生という意味から”へび”と言う字が使わたのかもしれません。また、弁財天との関係もあるようにも推測している。
 びゃくしん「混柏」という字を使っていますが正しくは柏槙(びゃくしん)で、下記のような由来があるようです。
社務所側階段の脇にも元気な混柏が二本あります。
ところで、この柏槙は寺社の境内で多く見掛けます。全国各地に見られますが、殊に鎌倉の古社寺には古い大木が残ってゐます。円覚寺にも建長寺にも、鶴岡八幡宮の境内にもあります。
建長寺には仏殿の前栽として七本の古大木がありますが、これは宋代の前庭様式を踏襲したもので、開山蘭溪道隆が中国から持参した種を建長寺創建の時にまいたものと伝承してゐます。
このやうに柏槙の古木があるといふことは、禅宗寺院の庭園の影響を受けた鎌倉時代の社寺の伝統を継承してゐるところだと言へませう。
「蛇混柏」も建長寺や円覚寺の柏槙と同じ頃に植ゑられ、弁天島の参道にも同様に柏槙の並木が作られたのでせう。  (瀬戸神社HPより)

 瀬戸神社旧境内地内遺跡(せとじんじゃきゅうけいだいちないいせき)からは有孔円板、円板、勾玉、管玉といった石製品、土で作られた土製模造品などの祭祀遺物が出土しているようです。また、いろいろな遺構とともに5か所で貝塚が確認されています。貝塚の形成時期はさまざまで、古墳時代中期の遺構があるようです。また神社形成以前にこの辺りを神の依り代にしていたのではともいわれています。
 わたくしがパッと神社全景を見ても おそらくこの山自体がイワクラであり古墳のようなものであったのではと感じるほどでした。

 へび調査隊としては蛇混柏(じゃびゃくしん) を調査するのが目的でしたが、琵琶島神社の立身弁才天石像を見ることが出来たのは本当に良かったと思います。 石像の頭にはもっとはっきりと宇賀神(蛇身弁財天)が乗っていると良かったですね。 これでは海女さんが白い手ぬぐいを頭に巻いているみたいです。 木造のほうを見ることが出来るかお伺いしたところ「出来ない」ということでした。
 下記に木像を載せますが この像に倣ったようですね。


瀬戸神社公式HPより横浜市指定文化財
『八臂弁財天立像一躯』

摂社「琵琶島神社」にまつられていた弁財天の神像。
立ち姿であることから、古来「立身弁財天」と称され、立身出世・繁昌の御利益があるとされます。
頭上に人面蛇身の宇賀神を戴き、左手に宝珠を持ちます。本来は背中両脇より6本の腕が出る八臂の姿で、剣や弓矢、法輪などの持物を持っていたのですが、今は失われています。
室町時代の制作と推測されています。
 八臂弁財天にみられる六本の腕なども失われているようですし、おそらく宇賀神の顔も削り取られてしまったのではと推測できます。

 北条氏は平家である といわれていますが、弁財天を信仰している事とも非常に関わっていることが良くわかります。

おしまい。
 
 
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